第1章 お勉強じゃなくて、学ぼう

先に書いておくと、この章で扱う「お勉強」と「学び」の区別は、僕がいまだに、自分のなかでうまく整理しきれていないテーマのひとつでもあります。書きながら、自分の言葉でほどいていく、というつもりでいます。完成形を書く章ではない、と思って読んでください。

中学校まで、僕はお勉強というものを、ほぼやってきませんでした。中学校はほぼ不登校で、教科書のなかで自分が最後まで通読したものは、ほとんどありません。家ではゲームばかりしていました。FPS(一人称シューティングゲーム)でチームを組んで試合をしたり、自宅にサーバー(ほかの人が接続できるコンピュータのこと)を立てたり、ロゴを描いて売ったり、というのが主な日常でした。机のうえの本と、僕とは、ほぼ無関係な状態だったわけです。

高校は工業高校に通って、電気・情報デザイン科という、ちょっと珍しい学科にいました。ここでは、自分の興味と合う科目が多かったので、専門の科目はけっこうちゃんとやりました。最終的な評定(高校の成績の平均)は、たしか 4.2 くらいまでいきました。欠席日数は相変わらず多くて、卒業時点で 130 日くらい休んでいましたが、それでも、いま振り返ると、工業高校で過ごした時間は、僕の元本のひとつとして、けっこう大きかったと感じています。実際の機材を触って、何かを作って、人と組んで、納期に追われる、という経験は、教科書には書かれない種類のことを色々教えてくれました。元本という言葉は第6章で詳しく扱いますが、ここではざっくり「自分のなかに積まれた経験」だと思ってください。

そこから、東京工芸大学という大学に進学しました。世間的には、偏差値でいうと上のほうではない大学です。ただ、これは消極的な選択ではなくて、けっこう積極的な選択でした。工業高校の電気・情報デザイン科という僕の専門と、東京工芸大学の工学部(情報)・芸術学部(デザイン)の2学部制が、ぴったり合っていたからです。指定校推薦(特定の高校から特定の大学に書類選考で進学できる仕組み)でも行けそうだった、というのもありました。実際に入ってみても、出会った人や得られた経験は希望どおりで、僕にとってはけっこう良い選択だったと、いまでも思っています。

ところが、その大学に入ったあとの僕は、お勉強の評価軸の上で、また下のほうの数字を持ち続けました。授業に出ない日のほうが多くて、配属時の GPA(大学の成績の平均値)は 1.9。配属の最低ボーダーぎりぎりの数字です。これでも、僕は当時の自分が「お勉強ができないからダメだ」と感じていたかというと、たぶん感じていませんでした。あとから振り返って、その理由を整理すると、僕は他人の用意した正解に対する興味が、わりと薄い人間だった、ということに行き着きます。「これが正解だ」と差し出されても、「ふーん」で終わる。怒られたり、内申がボロボロになったりはしていたのですが、それを「自分が悪い」として受け止める感覚が、なぜかなかったんです。

書きながら、これは別に立派な話ではないな、と思います。お勉強を全力で頑張って、その結果として何かを掴んだ友人もたくさんいました。僕は単純にそれをやらなかっただけです。

ただ、長年これを「自分の意志が弱いから」だけで処理しようとしていた時期があって、その自己診断は、いま振り返ると、いちばんコストの大きい誤診だったような気がします。意志の問題なら、意志を強くすればいいことになります。何年やっても、僕の意志は強くなりませんでした。代わりに、もう少し精度の高い説明に、あるとき気づきました。僕の頭のなかでは、「自分で選んだと感じられるもの」と「誰かに与えられたもの」のあいだで、リソース配分が、極端に偏っていたんです。前者には、時間も集中も、湧くように出てきます。後者には、たとえ大事だと頭で分かっていても、リソースがほぼ動きません。同じ24時間、同じ脳、同じ僕で、これだけの落差がありました。これは、意志の弱さではなくて、「内発と外発の落差が大きい」という性質のことだったんじゃないか、と、いまは思っています。性質は、強くしたり弱くしたりするものではありません。それを前提にして、その性質に合った仕組みを作る、というほうが、たぶん筋がいいです。

ただ、ひとつだけ、あとから言えそうなことがあります。それは、ふつう「勉強」と一つにくくられがちな何かが、よく見ると、本当はふたつの違うものなんじゃないか、ということです。

ひとつめは、誰かが用意した問題と、誰かが用意した正解を、できるだけ早く、できるだけ正確に、照合する作業。中学校や高校の勉強は、ほとんどがこれでした。問題があり、正解があり、その距離を縮めることが「できる」と評価される。早く正解にたどり着く人が「できる人」で、それが遅い人が「できない人」。あいだにあるのは時間とコツだけ。これは、わりとはっきりした構造を持った活動です。

もうひとつは、何かを知った瞬間に、それまで自分が見ていた世界のどこかが、ちょっとだけ違う色に見えはじめる、あの感覚のほうです。「あ、こういうことだったのか」「いままで何を見ていたんだ自分は」というやつ。これは、正解との距離を縮める作業ではなくて、自分の視野そのものが少し広がる、という出来事です。並べてみると、構造としては別物ですよね。ところが、日本語ではどっちも「勉強」とか「学習」とか、似たような単語で呼ばれてしまいます。だから混ざりやすい。混ざるとちょっとまずいことが起きて、たとえば、前者がよくできる人と、後者がよくできる人を、同じ人だと思いこんでしまったりします。

僕の感覚では、前者の達人は、必ずしも後者の達人ではありません。逆もまた然りで、前者がぜんぜんできなかった人が、後者の達人になることはふつうにあります。これは慰めを言っているのではなく、教える側に回ってからも、そういう人を何人か近くで見てきた、という観察のことです。

少なくとも僕の場合、大学に入って研究室に配属され、論文というものを初めて書いた頃から、何かが変わりました。誰かの正解と照合する作業は消えて、まだ誰も書いていないことを、自分で書きにいく作業に置き換わったんです。これは、僕の頭の動き方とものすごく相性がよかった。授業ではぜんぜん発火しなかった部分が、論文を書く作業では発火しました。配属時の話は第9章で詳しく書きますが、研究室との出会いが、僕にとっては、お勉強の評価軸からほんの少し降りて、もうひとつの活動に出会う入り口になった、ということになります。

要するに、僕は、お勉強への適性が低くて、もうひとつのほう、つまり世界の見え方を更新する作業への適性は、たぶんふつうくらいあった、という人間だったんだと思います。それまで前者の評価軸でしか測られていなかったので、自分でも、どっちもできない人として通っていただけのことでした。

こういう自分の経験を踏まえて、いま教える側に回って学生さんを見ているときに思うのは、僕と似たような種類のダメさを抱えた人がいるとしたら、その自己評価は、たぶん半分しか当たっていないんじゃないか、ということです。お勉強への適性は確かに低いかもしれない。でも、世界の見え方を更新する作業への適性は、まだぜんぜん測られていない可能性があります。お勉強の評価軸からは降りたほうがいい場面と、降りないほうがいい場面の両方があって、どっちがいまかは状況によります。ただ、降りたあとに何があるかは、お勉強の評価軸の上から見ていても、永遠に見えてきません。これは確かなことです。

では、もうひとつのほう、世界の見え方が更新される、というあの感覚は、どこから始まるのでしょうか。僕が観察する限り、これにはわりと共通の入り口があります。それは、自分のなかから、ふっと小さな問いが立ち上がる瞬間です。「世界平和とは何か」みたいな大きな問いがいきなり立ち上がるわけではありません。立ち上がるのは、もっと小さい問いです。「論文って、なんで最初に研究の中身じゃなくて、なぜこれを研究するのか、から書くんだろう」とか、「あの先輩はなんでいつもあのコードの書き方をするんだろう」とか、そういう、外から見たらどうでもいいような問いです。これに気づけるかどうか、気づいたあとに少しだけ手を伸ばしてみるかどうか、で、世界の見え方が更新されたり、されなかったりします。

問いは、与えられないと出てこない、と思いがちです。実際、お勉強の世界では、問いはいつも先に置かれていて、僕たちは答えのほうを書きにいきます。これに慣れすぎると、自分のなかから問いが立ち上がる、という感覚が、ほぼ訓練されないまま大学に来てしまうことがあります。僕の場合、研究室で初めて論文というものを読んだとき、「論文って、こんなに変な構造で書かれてるのか」と思ったのが、たぶん最初の小さな問いでした。これは別に勉強しろと言われていなかった問いです。ただ、論文を渡されると、その変さには気づく。そこから、なぜこういう構造なのか、を考えはじめました。これが、僕にとって、ようやく訪れた「学び」っぽいものだった、と思っています。

ここまで読んで、じゃあお勉強は無駄なのか、後者だけ追えばいいのか、と感じた人がいるかもしれません。それは違うと思います。両者は対立しているわけじゃなくて、層が違うだけです。お勉強で身につけるもの(基礎的な知識、計算の手数、英単語、読み書きの速度)は、世界の見え方を更新する作業を始めようとしたときに、土台として機能します。土台がぜんぶゼロだと、新しい見え方への接続が起きにくい。論文を読みたいと思った瞬間に、英語が読めなさすぎて挫折する、みたいなことが起きます。お勉強は、その先の活動を支える基礎工事みたいなものです。

ただし、基礎工事だけしても、家は建ちません。お勉強の達人だけれど、自分のなかから問いが立ち上がる経験を、ずっと持たないままここまで来てしまった人を、僕は何人か見てきました。彼らは決して頭が悪いわけではありません。むしろ、お勉強の評価軸の上では誰よりも上位にいます。でも、世界の見え方が変わる、というあの感覚を、まだ持ったことがない。そういう人に「だから問いを立てなさい」と言ったところで、効きません。問いというのは「立てよう」と思って立てるものではなくて、何かを見ているうちに勝手に立ち上がってくるものだからです。立ち上げるためには、自分が何を面白いと感じるかについての小さな観察を、繰り返しやらないといけません。これはお勉強の延長線上にはなくて、別の筋肉です。

大学の構造そのものについても、同じことが言えます。大学は、お勉強の場として運用されている部分と、それ以外の場として運用されている部分が混在しています。低学年の必修授業はお勉強の側に近いですし、研究室や卒論はもう一方に近い。両方が混ざった授業もありますし、教員によっては自分の授業を意図的に後者寄りに寄せている人もいます。これがごちゃ混ぜに同じ「大学」というラベルの下に入っているので、外から見ると、何が起きているのかよくわかりません。僕の感覚では、大学(とくに低学年)は、前者から後者に半分だけ切り替わる場所、というのが、いちばん近い説明かもしれません。完全には切り替わらない。完全に切り替わったら、たぶん多くの学生は最初の半年で行き場を失います。だから、お勉強は残しつつ、その横で、自分のなかから問いが立ち上がる回路を、少しずつ育てていく時期、というのが、低学年の正体なんじゃないかと思っています。

もしあなたが大学の低学年で、この本を読んでくれているなら、ひとつだけ、覚えておいてもらえると嬉しいことがあります。いま受けている授業のうち、何割かは、世界の見え方を更新するための材料を、たぶん含んでいます。教員が意図的にそうしているかどうかは別にして、それは確実にあります。授業を「単位を取るためのお勉強」としてだけ消費していると、その材料は素通りしていきます。一回だけでいいので、「この授業のなかで、自分のなかから問いが立ち上がる瞬間はあるかな」という視点で、授業をぼんやり眺めてみると、何かが変わるかもしれません。たいていの授業に、ちっちゃい問いの種が、ぱらぱらと落ちていることに、気づくはずです。それを拾うかどうかは、もちろんあなた次第です。僕は拾えとも拾うなとも言いません。

最後に、もうひとつだけ書いておきます。世界の見え方を更新する作業のほうは、線形には積み上がりません。お勉強で覚えた英単語が、覚えた数だけ自分のなかに積まれるのに対して、こちらは、あるとき自分のなかに立ち上がった小さな問いが、半年後に別の文脈で読んだ別の本と接続して、その接続がさらに別の現象の見え方を変えて、変わった見え方が次の問いを立ち上げる、というふうに、絡み合いながら積み上がっていきます。だから、最初は何も起きていないように見えて、ある時期から、急にいろんなものが繋がりはじめる、という現象が起きます。そういう積み上がり方をする活動が、僕たちの目の前にあるんだ、ということだけ、頭の片隅に置いておいてもらえると嬉しいです。

書きながら、自分でもまだほどけていない部分が残っているのを感じます。お勉強と学びは、僕の中ではまだきれいに分離できていなくて、両方が混ざった経験というのも、たぶんたくさんあります。だからこの章は、ここまで分かった、というところで止めて、ここから先は、これから自分でほどいていきます。あなたの手元に、僕の途中の整理が残れば、それで充分です。