プロローグ

人生というのは、自分のものであっても、他人のものであっても、庭みたいなものなんじゃないかな、というのが、最近の僕がいちばんしっくりきている感覚です。本書のなかには、いろんな話を書いていくつもりですが、いちばん下のところで僕が支えにしているのは、たぶんこの感覚です。だから、最初に書いておきます。

庭は、確かに自分のものです。所有権で言えば、たしかに自分のものです。それでも、自分の思い通りに制御したり、最適化したりすることは、できません。種を蒔いて、水をやって、土を耕して、雑草を抜いて、剪定して、病気にならないように手をかけることは、できます。これらの作業をサボらずに積み重ねれば、庭は、長期的には確かに豊かになっていきます。それでも、雨が降る量や、日が当たる時間、霜が来る日や台風が来る日は、こちらが決められません。隣の畑から虫が飛んでくることもありますし、思いがけず鳥が種を運んでくることもあります。今年咲くと思っていた花が咲かない年がありますし、咲かないと思っていたものが勝手に咲く年もあります。これらは全部、庭主の意志とは無関係に起きます。

庭主にできるのは、世話をすることだけ、です。コントロールではなく、世話。世話の質は、長い目で見ると、庭の状態を確実に変えていきます。世話の積み重ねが、5年後、10年後の庭の輪郭を、ほぼ決めると言ってもいいくらいです。それでも、ある特定の日に、特定の花が咲くかどうかは、庭主には決められない。庭は、半分は自分が決めて、半分は土と季節と偶然が決める、というふうに動きます。

人生もこれに近い、というのが、僕がここ数年、いろんな場面で確かめてきた感覚です。自分の身体、自分の習慣、自分の選択、自分が向ける時間、自分がかける手間。これらは確かに自分のものです。それでも、思い通りには動きません。気候があります。体調があります。家庭の事情があります。世の中の変化があります。突然の病気もあれば、突然の出会いもあります。これらは、自分の側からはほぼコントロールできません。それでも、世話はできるし、手をかけることもできます。手のかけ方の積み重ねが、5年後、10年後の自分の輪郭を、確実にずらしていきます。咲かない花を咲かせる魔法はないですが、咲きやすい土を作っておくことはできる、というイメージが、いちばん近いかもしれません。

他人の人生についても、同じだと感じています。教員として学生さんを見ていて、いちばん気をつけたいのは、「学生さんの庭は学生さんのものだ」という線を踏み越えないことです。僕が入っていって、その庭を最適化することは、できません。するべきでもありません。隣の庭主として、種を分け合ったり、世話の仕方を話し合ったり、たまに「こっちの花、綺麗に咲きましたね」と言い合ったりすることは、できます。本書がやっていることは、たぶんそれに近いです。あなたの庭にこれを植えなさい、こう剪定しなさい、と書く本ではありません。隣の庭主として、僕がいま自分の庭でやっている作業の話を、ぼそぼそとしている本、というほうが近いです。

本書のなかでは、これから、「自分を設計する」「仕組みを組む」「複利の方向を選ぶ」「自分を測る装置を持つ」みたいな、わりと能動的な言葉が、いくつも出てきます。これは庭で言うと、庭の構造を作るほうの話に近いです。土を整えたり、棚を組んだり、水路を引いたり、という作業に当たります。読みながら、ちょっとだけ気をつけてもらえると嬉しいのは、これらの言葉だけで人生を扱おうとすると、半分しか見えなくなる、ということです。残り半分は、設計の言葉では捉えられない、世話の側です。設計だけで考えていると、思い通りに動かなかったときに、自分を責める回路に入りやすくなります。庭の感覚を一緒に持っていると、思い通りに動かなかったときも、「庭がそういう動きをしている」というだけ、として受け取れます。今年は霜が早かったね、とか、思わぬところに鳥が来たね、とか、そういう種類のこととして。本書のなかで「設計」っぽい話が出てきたときは、その横に、いつでも「世話」の感覚を一緒に置いて読んでもらえると、ちょうどいい温度になるんじゃないかな、と思っています。

それから、もうひとつ。本書を書きながら、いっしょに頭の片隅に置いていた言葉を、ここに書いておきます。

「『世界』を作るのは私である」。

こんな言葉があります。とある哲学書のなかにあった、ひとつの一節です。最初に読んだとき、正直、意味がよく分かりませんでした。いまでも完全には分かっていない気がします。それでも、自分の経験を当てはめてみると、いくつかの場面で、この言葉がしっくりくることがあるんです。庭の比喩と、この一節は、一見すると逆を向いているように見えます。庭は思い通りにならない、と言いつつ、世界は私が作っている、とも言う。このふたつは、矛盾するように聞こえるかもしれません。実は両方とも本当だ、というのが、僕がいまのところ手元で扱っている読み方です。本書を書きながら、その「両方とも本当」の手触りを、ちょっとずつ言葉にしてみよう、というつもりでいます。最終章で、もう一度この一節に戻ってきます。

この本(と言ってもウェブで読めるドキュメントなのですが)は、僕が学生のころに、どんな考え方で大学時代を乗り越えたのか、あるいはいま振り返ってみると、どんな考え方で乗り越えるべきだったのかを、誰かのヒントになればいいなと思って、記しておくつもりで書いています。書いている人間が立派だから書いているわけでは、ぜんぜんありません。むしろ、最初に書いておかないとフェアじゃないと思うので書きますが、僕自身は、大学の授業をまともに受けていませんでした。

僕は古池謙人(こいけ けんと)といいます。いまは神奈川大学で大学教員(助教というポジションです)をしています。専門は、人がどうやって学ぶかを工学的に研究する分野で、もう少し具体的に書くと、Intelligent Tutoring System(インテリジェント・チュータリング・システム、略して ITS)と呼ばれる、コンピュータが学習者を支援する仕組みを設計する仕事です。ざっくり言えば、「人の学び」が仕事です。それなのに、僕自身の経歴は、お勉強の評価軸の上では、わりと下のほうを行ったり来たりしてきました。小学校はわりと休みがちで、中学校はほぼ不登校。高校は工業高校(電気・情報デザイン科)で、卒業時点で 130 日くらい休んでいましたが、専門の科目はちゃんとやっていて評定(高校の成績の平均)は 4.2 くらい。大学は東京工芸大学(工学部の情報系の学科)に指定校推薦で入って、研究室への配属時の GPA(大学の成績を平均した数字で、4.0 が満点くらいです)は 1.9 でした。これは、はっきり言って、かなり下のほうの数字です。書いておくのは、自慢でも、自虐でもありません。「ちゃんとしてきた人」が「ちゃんとしてないあなた」に説教する本だと、勘違いされたくないからです。むしろ、ちゃんとしてこなかった側の人間として、ここからこの本を書いていきます。

研究の話を、もう少しだけ続けます。本書の根っこにも関わるからです。僕がやっている ITS の研究には、ある共通の出発点があります。人間は不便にできている、というのが、それです。記憶できる量には限りがあって、注意は移ろいやすく、疲れる。意志の力には燃料があって、すぐ底をつく。やる気のある日とない日があって、それは本人にもうまく予測できない。僕たちは、自分の学習者の「ふがいなさ」を、責めたいわけではありません。責めたところで、人間が便利になるわけではないので、設計のしようがないからです。代わりにやるのは、その不便さを前提にして、それでも何かが起きる仕組みをどう組むか、を真剣に考えることです。これが、ITS という分野の核にある姿勢だと、僕は思っています。

ある時期から、これは自分の生活にもそのまま当てはまるな、と気づきました。僕という個人もまた、不便にできています。学生時代、授業に出る気が起きない朝が、たくさんありました。やりたいと思っているはずのことを、なぜか始められない夜が、たくさんありました。意志でなんとかしようとして、なんともならなかった経験が、たくさんあります。研究で人間の学習者を見るときと同じ目線で、自分自身を見てみよう、と思ったんです。「自分は弱い」と片づけずに、「自分はどういう不便さを持った人間か」と、設計者の視点から、自分の輪郭を描いてみる。そのうえで、その輪郭に合った仕組みを、自分のために組む。これが、僕がここ数年やってきた作業の、いちばん近い説明です。本書はある意味で、その作業の途中経過の記録でもあります。完成形を書いているわけでは、ぜんぜんありません。

それからもうひとつ。いま大学教員ですが、学生さんに何をどう教えればいいかは、正直、まだよく分かっていません。これも本当の話です。研究で僕が向き合ってきた「人間の学習者」は、論文や実験のなかで抽象化された存在で、目の前の学生さんひとりひとりは、それより遥かに複雑です。だからこの本は、教員としての立派な答えを書き並べるというよりは、答えがまだないなりに、自分が学生のころに気づけていたら気が楽になっていたかもしれないこと、を、淡々と書きとめている、というほうが近いと思います。各章の話は、書きながら、僕がいまでも困っていることのリストでもあります。書き終わってから自分で読み返して、自分自身に効かせるつもりで書いています。

この本のいちばんの宛先は、当時の僕と似たような場所にいるあなたです。不登校だった、低偏差値の高校・大学にいる、GPA が低い、もう手遅れだと感じている、自分は頭が悪いと思っている、ちゃんとした人生にならない気がしている。そういう感覚を抱えているあなたに、まず届けばいいなと思って書いています。ただ、もしあなたが「真面目に勉強してきて、いまそこそこの大学にいて、特に行き詰まりも感じていない」という側にいたとしても、この本を読んでもらって構いません。何かに違和感を感じているあなたにも、いくつかの章は届くと思います。

この本は 11 章あります。各章はそれぞれ独立して読めるようにしました。最初から順番に読んでもいいですし、気になった章だけ読んでもいいです。最後の章だけ先に読んでみて、ピンと来なければ閉じてもらってもいいです。本は開いた瞬間に読者のものなので、書いた人間の言うことを聞く必要はないですし、最後まで読む義務もありません。何か残れば、それでいいですし、何も残らなくても、それはそれで構いません。

それでは、第1章から始めます。最初の章のタイトルは「お勉強じゃなくて、学ぼう」です。僕がいちばん長く考えてきた、たぶん僕の人生をいちばん深いところで決めてきた、ひとつの問いがこれでした。

第1章 お勉強じゃなくて、学ぼう

先に書いておくと、この章で扱う「お勉強」と「学び」の区別は、僕がいまだに、自分のなかでうまく整理しきれていないテーマのひとつでもあります。書きながら、自分の言葉でほどいていく、というつもりでいます。完成形を書く章ではない、と思って読んでください。

中学校まで、僕はお勉強というものを、ほぼやってきませんでした。中学校はほぼ不登校で、教科書のなかで自分が最後まで通読したものは、ほとんどありません。家ではゲームばかりしていました。FPS(一人称シューティングゲーム)でチームを組んで試合をしたり、自宅にサーバー(ほかの人が接続できるコンピュータのこと)を立てたり、ロゴを描いて売ったり、というのが主な日常でした。机のうえの本と、僕とは、ほぼ無関係な状態だったわけです。

高校は工業高校に通って、電気・情報デザイン科という、ちょっと珍しい学科にいました。ここでは、自分の興味と合う科目が多かったので、専門の科目はけっこうちゃんとやりました。最終的な評定(高校の成績の平均)は、たしか 4.2 くらいまでいきました。欠席日数は相変わらず多くて、卒業時点で 130 日くらい休んでいましたが、それでも、いま振り返ると、工業高校で過ごした時間は、僕の元本のひとつとして、けっこう大きかったと感じています。実際の機材を触って、何かを作って、人と組んで、納期に追われる、という経験は、教科書には書かれない種類のことを色々教えてくれました。元本という言葉は第6章で詳しく扱いますが、ここではざっくり「自分のなかに積まれた経験」だと思ってください。

そこから、東京工芸大学という大学に進学しました。世間的には、偏差値でいうと上のほうではない大学です。ただ、これは消極的な選択ではなくて、けっこう積極的な選択でした。工業高校の電気・情報デザイン科という僕の専門と、東京工芸大学の工学部(情報)・芸術学部(デザイン)の2学部制が、ぴったり合っていたからです。指定校推薦(特定の高校から特定の大学に書類選考で進学できる仕組み)でも行けそうだった、というのもありました。実際に入ってみても、出会った人や得られた経験は希望どおりで、僕にとってはけっこう良い選択だったと、いまでも思っています。

ところが、その大学に入ったあとの僕は、お勉強の評価軸の上で、また下のほうの数字を持ち続けました。授業に出ない日のほうが多くて、配属時の GPA(大学の成績の平均値)は 1.9。配属の最低ボーダーぎりぎりの数字です。これでも、僕は当時の自分が「お勉強ができないからダメだ」と感じていたかというと、たぶん感じていませんでした。あとから振り返って、その理由を整理すると、僕は他人の用意した正解に対する興味が、わりと薄い人間だった、ということに行き着きます。「これが正解だ」と差し出されても、「ふーん」で終わる。怒られたり、内申がボロボロになったりはしていたのですが、それを「自分が悪い」として受け止める感覚が、なぜかなかったんです。

書きながら、これは別に立派な話ではないな、と思います。お勉強を全力で頑張って、その結果として何かを掴んだ友人もたくさんいました。僕は単純にそれをやらなかっただけです。

ただ、長年これを「自分の意志が弱いから」だけで処理しようとしていた時期があって、その自己診断は、いま振り返ると、いちばんコストの大きい誤診だったような気がします。意志の問題なら、意志を強くすればいいことになります。何年やっても、僕の意志は強くなりませんでした。代わりに、もう少し精度の高い説明に、あるとき気づきました。僕の頭のなかでは、「自分で選んだと感じられるもの」と「誰かに与えられたもの」のあいだで、リソース配分が、極端に偏っていたんです。前者には、時間も集中も、湧くように出てきます。後者には、たとえ大事だと頭で分かっていても、リソースがほぼ動きません。同じ24時間、同じ脳、同じ僕で、これだけの落差がありました。これは、意志の弱さではなくて、「内発と外発の落差が大きい」という性質のことだったんじゃないか、と、いまは思っています。性質は、強くしたり弱くしたりするものではありません。それを前提にして、その性質に合った仕組みを作る、というほうが、たぶん筋がいいです。

ただ、ひとつだけ、あとから言えそうなことがあります。それは、ふつう「勉強」と一つにくくられがちな何かが、よく見ると、本当はふたつの違うものなんじゃないか、ということです。

ひとつめは、誰かが用意した問題と、誰かが用意した正解を、できるだけ早く、できるだけ正確に、照合する作業。中学校や高校の勉強は、ほとんどがこれでした。問題があり、正解があり、その距離を縮めることが「できる」と評価される。早く正解にたどり着く人が「できる人」で、それが遅い人が「できない人」。あいだにあるのは時間とコツだけ。これは、わりとはっきりした構造を持った活動です。

もうひとつは、何かを知った瞬間に、それまで自分が見ていた世界のどこかが、ちょっとだけ違う色に見えはじめる、あの感覚のほうです。「あ、こういうことだったのか」「いままで何を見ていたんだ自分は」というやつ。これは、正解との距離を縮める作業ではなくて、自分の視野そのものが少し広がる、という出来事です。並べてみると、構造としては別物ですよね。ところが、日本語ではどっちも「勉強」とか「学習」とか、似たような単語で呼ばれてしまいます。だから混ざりやすい。混ざるとちょっとまずいことが起きて、たとえば、前者がよくできる人と、後者がよくできる人を、同じ人だと思いこんでしまったりします。

僕の感覚では、前者の達人は、必ずしも後者の達人ではありません。逆もまた然りで、前者がぜんぜんできなかった人が、後者の達人になることはふつうにあります。これは慰めを言っているのではなく、教える側に回ってからも、そういう人を何人か近くで見てきた、という観察のことです。

少なくとも僕の場合、大学に入って研究室に配属され、論文というものを初めて書いた頃から、何かが変わりました。誰かの正解と照合する作業は消えて、まだ誰も書いていないことを、自分で書きにいく作業に置き換わったんです。これは、僕の頭の動き方とものすごく相性がよかった。授業ではぜんぜん発火しなかった部分が、論文を書く作業では発火しました。配属時の話は第9章で詳しく書きますが、研究室との出会いが、僕にとっては、お勉強の評価軸からほんの少し降りて、もうひとつの活動に出会う入り口になった、ということになります。

要するに、僕は、お勉強への適性が低くて、もうひとつのほう、つまり世界の見え方を更新する作業への適性は、たぶんふつうくらいあった、という人間だったんだと思います。それまで前者の評価軸でしか測られていなかったので、自分でも、どっちもできない人として通っていただけのことでした。

こういう自分の経験を踏まえて、いま教える側に回って学生さんを見ているときに思うのは、僕と似たような種類のダメさを抱えた人がいるとしたら、その自己評価は、たぶん半分しか当たっていないんじゃないか、ということです。お勉強への適性は確かに低いかもしれない。でも、世界の見え方を更新する作業への適性は、まだぜんぜん測られていない可能性があります。お勉強の評価軸からは降りたほうがいい場面と、降りないほうがいい場面の両方があって、どっちがいまかは状況によります。ただ、降りたあとに何があるかは、お勉強の評価軸の上から見ていても、永遠に見えてきません。これは確かなことです。

では、もうひとつのほう、世界の見え方が更新される、というあの感覚は、どこから始まるのでしょうか。僕が観察する限り、これにはわりと共通の入り口があります。それは、自分のなかから、ふっと小さな問いが立ち上がる瞬間です。「世界平和とは何か」みたいな大きな問いがいきなり立ち上がるわけではありません。立ち上がるのは、もっと小さい問いです。「論文って、なんで最初に研究の中身じゃなくて、なぜこれを研究するのか、から書くんだろう」とか、「あの先輩はなんでいつもあのコードの書き方をするんだろう」とか、そういう、外から見たらどうでもいいような問いです。これに気づけるかどうか、気づいたあとに少しだけ手を伸ばしてみるかどうか、で、世界の見え方が更新されたり、されなかったりします。

問いは、与えられないと出てこない、と思いがちです。実際、お勉強の世界では、問いはいつも先に置かれていて、僕たちは答えのほうを書きにいきます。これに慣れすぎると、自分のなかから問いが立ち上がる、という感覚が、ほぼ訓練されないまま大学に来てしまうことがあります。僕の場合、研究室で初めて論文というものを読んだとき、「論文って、こんなに変な構造で書かれてるのか」と思ったのが、たぶん最初の小さな問いでした。これは別に勉強しろと言われていなかった問いです。ただ、論文を渡されると、その変さには気づく。そこから、なぜこういう構造なのか、を考えはじめました。これが、僕にとって、ようやく訪れた「学び」っぽいものだった、と思っています。

ここまで読んで、じゃあお勉強は無駄なのか、後者だけ追えばいいのか、と感じた人がいるかもしれません。それは違うと思います。両者は対立しているわけじゃなくて、層が違うだけです。お勉強で身につけるもの(基礎的な知識、計算の手数、英単語、読み書きの速度)は、世界の見え方を更新する作業を始めようとしたときに、土台として機能します。土台がぜんぶゼロだと、新しい見え方への接続が起きにくい。論文を読みたいと思った瞬間に、英語が読めなさすぎて挫折する、みたいなことが起きます。お勉強は、その先の活動を支える基礎工事みたいなものです。

ただし、基礎工事だけしても、家は建ちません。お勉強の達人だけれど、自分のなかから問いが立ち上がる経験を、ずっと持たないままここまで来てしまった人を、僕は何人か見てきました。彼らは決して頭が悪いわけではありません。むしろ、お勉強の評価軸の上では誰よりも上位にいます。でも、世界の見え方が変わる、というあの感覚を、まだ持ったことがない。そういう人に「だから問いを立てなさい」と言ったところで、効きません。問いというのは「立てよう」と思って立てるものではなくて、何かを見ているうちに勝手に立ち上がってくるものだからです。立ち上げるためには、自分が何を面白いと感じるかについての小さな観察を、繰り返しやらないといけません。これはお勉強の延長線上にはなくて、別の筋肉です。

大学の構造そのものについても、同じことが言えます。大学は、お勉強の場として運用されている部分と、それ以外の場として運用されている部分が混在しています。低学年の必修授業はお勉強の側に近いですし、研究室や卒論はもう一方に近い。両方が混ざった授業もありますし、教員によっては自分の授業を意図的に後者寄りに寄せている人もいます。これがごちゃ混ぜに同じ「大学」というラベルの下に入っているので、外から見ると、何が起きているのかよくわかりません。僕の感覚では、大学(とくに低学年)は、前者から後者に半分だけ切り替わる場所、というのが、いちばん近い説明かもしれません。完全には切り替わらない。完全に切り替わったら、たぶん多くの学生は最初の半年で行き場を失います。だから、お勉強は残しつつ、その横で、自分のなかから問いが立ち上がる回路を、少しずつ育てていく時期、というのが、低学年の正体なんじゃないかと思っています。

もしあなたが大学の低学年で、この本を読んでくれているなら、ひとつだけ、覚えておいてもらえると嬉しいことがあります。いま受けている授業のうち、何割かは、世界の見え方を更新するための材料を、たぶん含んでいます。教員が意図的にそうしているかどうかは別にして、それは確実にあります。授業を「単位を取るためのお勉強」としてだけ消費していると、その材料は素通りしていきます。一回だけでいいので、「この授業のなかで、自分のなかから問いが立ち上がる瞬間はあるかな」という視点で、授業をぼんやり眺めてみると、何かが変わるかもしれません。たいていの授業に、ちっちゃい問いの種が、ぱらぱらと落ちていることに、気づくはずです。それを拾うかどうかは、もちろんあなた次第です。僕は拾えとも拾うなとも言いません。

最後に、もうひとつだけ書いておきます。世界の見え方を更新する作業のほうは、線形には積み上がりません。お勉強で覚えた英単語が、覚えた数だけ自分のなかに積まれるのに対して、こちらは、あるとき自分のなかに立ち上がった小さな問いが、半年後に別の文脈で読んだ別の本と接続して、その接続がさらに別の現象の見え方を変えて、変わった見え方が次の問いを立ち上げる、というふうに、絡み合いながら積み上がっていきます。だから、最初は何も起きていないように見えて、ある時期から、急にいろんなものが繋がりはじめる、という現象が起きます。そういう積み上がり方をする活動が、僕たちの目の前にあるんだ、ということだけ、頭の片隅に置いておいてもらえると嬉しいです。

書きながら、自分でもまだほどけていない部分が残っているのを感じます。お勉強と学びは、僕の中ではまだきれいに分離できていなくて、両方が混ざった経験というのも、たぶんたくさんあります。だからこの章は、ここまで分かった、というところで止めて、ここから先は、これから自分でほどいていきます。あなたの手元に、僕の途中の整理が残れば、それで充分です。

第2章 偏差値というスナップショット

「偏差値」という数字は、進路を選ぶ場面で、わりとよく顔を出します。模試の結果として、大学の難易度として、ときには高校や塾の選び方の指標としても。50 を平均にして、対象がそれより上か下かを、ぱっと数字で示してくれる仕組みになっています。便利は便利なんですが、ちょっと立ち止まって眺めてみると、気になることがあります。偏差値というのは、よく見ると、あるときの、ある集団のなかでの、対象の位置を、写真みたいに一瞬だけ切り取った数字でしかありません(こういう「ある一瞬を切り取った記録」のことを、この章では「スナップショット」と呼ぶことにします。スマホで撮るスナップ写真みたいなものだと思ってください)。ある模試を受けたとき、その模試を受けた人たちのなかで、自分がどのくらいの位置にいるか。それだけのことです。それなのに、世間ではこれが、その人の「頭のよさ」とか「人生の見込み」とか、もっと言えば「価値」みたいな話にまで翻訳されることがあります。これは、ちょっと無理がある翻訳だな、と僕は思います。一枚のスナップショットを、未来予知に使うようなものですから。

僕の場合の話を書いておきます。励ましでも武勇伝でもなくて、同じ偏差値スナップショットでも、その後の動き方で何が起きうるかの、ひとつの実例として書きます。

僕は東京工芸大学という大学を出ています。世間でいうと、偏差値で言って上のほうではない、いわゆる「Fラン」とか「Dラン」とか呼ばれるくくりに入る私立大学です(このあたりの呼称は俗語で、本人もどっちなのかよく分かっていません)。そこから博士まで進みました。博士号は東京工芸大学で取りました。その後、京都大学のとあるセンターで、ポスドク(博士号を取った後の、任期付きの研究員のことです。特定研究員と呼ぶこともあります)になりました。京都大学というのは、偏差値スナップショットの上では、上のほうの大学にあたります。それから東京理科大学で助教になり、いまは神奈川大学で任期なしの助教をしています。

書きながら、こういう経歴の話は、本当はあまりしたくないな、と感じています。なぜなら、こういう話を出した瞬間に、僕の経歴という別のスナップショットを、あなたに見せていることになるからです。スナップショットの精度を疑う章で、別のスナップショットを並べるのは、論理的には少し変な行為です。それでも書くのは、18歳の僕の偏差値スナップショットからは、いまの場所に僕がいることは、たぶん予測できなかった、という事実が、ひとつの材料になるかもしれないと思うからです。スナップショットというのは、未来予知としては、わりと精度が低いんです。これはお説教ではなくて、単純な観察として書いています。

ついでに書いておくと、僕が東京工芸大学を選んだのは、消極的な理由ではありませんでした。むしろ、けっこう積極的な理由があってのことです。僕は工業高校の電気・情報デザイン科という、ちょっと珍しい学科を出ていて、東京工芸大学には工学部(情報)と芸術学部(デザイン)の両方の学部がありました。これは僕の高校での専門と、ぴったり合っていました。指定校推薦(特定の高校から特定の大学に書類選考で進学できる仕組み)でも行けそうだったので、ちょうど良かったのです。実際に入ってみても、出会った人や得られた経験は希望どおりで、ちょっと頑張れば目にかけてもらえる環境でもありました。僕にとってはけっこう良い選択だった、と、いまでも思っています。世間的な階段の何段目かと聞かれれば、たしかに上のほうではないんですが、「下のほうに転がり落ちた」というニュアンスでは、ぜんぜんなかったわけです。

偏差値について、もうひとつだけ書いておきます。「偏差値は無意味だ」とは、僕は言わない、ということです。世の中には「偏差値なんて意味ないよ」「数字に振り回されるな」みたいなメッセージがたくさん流通しています。気持ちはわかります。それでも、僕は、無意味だとは思っていません。

理由は簡単で、偏差値が機能している社会では、それを使うと得をする場面が、現実にあるからです。高偏差値大学にいれば、研究費が集まりやすい。名前を持っていると、初対面で会ってもらえたり、選考に進めたりすることが増える。ネットワークの中に、後で効いてくる人脈が含まれている確率も、ほかの集団より高い。これらは、認めたくない人もいるかもしれませんが、現実です。日本社会のかなりの部分は、いまだに偏差値というシグナルを使って動いています。「無意味だ」と切って捨てるのは、現実の認識として、ちょっと正確じゃない気がします。

ただ、ここから先のほうがずっと大事なのですが、これらは全部「環境としての価値」の話であって、あなた個人の能力や面白さの値ではない、ということです。研究費が集まりやすい大学にいるのと、あなたの頭がいいのとは、別の話です。話を聞いてもらえる名刺を持っているのと、あなたが話す内容に価値があるのとは、別の話です。同じ大学に同じだけのネットワークがあっても、それを生かすか生かさないかは、また別の話です。偏差値という数字は、ある種の通行証として機能することがある、というのは事実です。それでも、通行証は通行証であって、あなたそのものではない。ここは混同しないほうがいい区別だと、僕は思っています。

ここから、当時の僕と似たような場所にいるあなたに向けて、もう少し書いてみます。不登校だった、低偏差値の高校・大学にいる、もう手遅れだと感じている、自分は頭が悪いと思っている、ちゃんとした人生にならない気がしている。そういう感覚を抱えているあなたのことです。僕はそっち側にいた人間なので、その自己評価がどう立ち上がるかは、けっこうわかる気がしています。何度測られても、自分が下にいる、という体験が積み重なると、その下にいる感覚は、自分の身体の一部みたいになっていきます。それを「気合いで覆してください」とは、僕は言いたくありません。覆せるものでもありませんし、覆さなくてもいいからです。

ただ、ひとつだけ書いておきたい観察があります。偏差値が高いとされる場所には、「言われた通りにちゃんとやってきた人」が多い、ということが、教える側に回って学生さんを見ているときの、僕のひとつの印象です。これは批判ではなくて、事実の観察として書いています。そういう場所にいる人の多くは、親や先生から「これをやりなさい」と言われて、それに応えてきた。応える能力が高かった。だから、いまそこにいる。それは、純粋に素晴らしい力です。

そして、もしあなたが、そうじゃない側にいるとしたら、ちょっと面白いことになります。不登校だった、欠席が多かった、内申が壊れた、低偏差値ルートを通った、誰かに勧められなかった選択をした。これらは、全部、あなたが「言われた通りにはやらなかった」回数のカウントでもあります。やれなかった、なのか、やらなかった、なのか、その両方なのかは、状況によると思います。ただ、いずれにせよ、あなたは「言われた通りに動かない」という経験を、多くの人より多くしてきている、ということになります。

これは、あまり評価されない種類の経験です。少なくとも、偏差値スナップショットの上では、マイナスにしか見えません。それでも、第1章で書いた、自分のなかから問いが立ち上がる、というあの感覚への手前の材料としては、これは絶対にゼロじゃないんじゃないか、と僕は思っています。「言われた通りに動かなかった経験」と「自分のなかから問いが立ち上がる経験」は、地続きのところがあるからです。両方とも、誰かが用意した道筋から、いったん降りる、という共通の動作を必要とします。降りた先で何をするかは、もちろん人によります。降りっぱなしで終わる人もいれば、降りた先で何かを見つける人もいる。だから「降りたからあなたは強い」とも、僕は言いません。それは結果論です。ただ、降りたことがある、という履歴は、あなたの元本の一部にはなる、ということは、言えそうな気がしています。気づいて使えば効いてきますし、気づかなければ眠ったままで終わります。

スナップショットというものについて、もうひとつだけ。外から撮られる写真とは別に、自分の側から自分の輪郭を描く、という作業もあるんです。

偏差値というスナップショットは、外から、ある一律の物差しで撮られた写真でした。撮る側がいて、撮られる側がいる、という関係です。一方で、自分のことを自分で見るときには、もう少し違う種類の作業ができます。「自分はどんなふうに動かないか」「どんな状況だと粘れるか」「何が地雷で、何が燃料か」、こういうものを、自分の言葉で書き出していく作業です。これを、本書では「自分の輪郭を描く」と呼んでみたいと思います。これは、僕がいま専門にしている学習研究の世界で出てくる発想と、地続きです。学習者が思うように動かないとき、僕たちは「学習者が悪い」とは考えません。「どういう種類の不便さを抱えた学習者なのか」を、丁寧に観察するところから始めます。これを自分自身に向けてみる、というのが、輪郭を描く、ということに近いと思っています。

輪郭は、人によってかなり違います。朝に弱いけれど夜は粘れる人がいます。逆の人もいます。人と話したあとに、ばたんと電池が切れる人がいます。話せば話すほど元気になる人もいます。選択肢が多いと固まる人がいます。多いほど面白がれる人もいます。目的が明確なら驚くほど集中できるけれど、目的があいまいだと一歩も動けない人もいます。これらは、どれも、強さや弱さの話ではなくて、「どういう仕様の生き物か」の話です。プロローグの庭の比喩で言えば、ここが「あなたの庭の土と気候」にあたります。あなたが選んで作ったわけではなく、生まれつき手元にある条件で、消すことも作り変えることも、たぶんできません。できるのは、その土と気候のなかで、何が育ちやすいかを観察すること、それに合った世話の仕方を組むこと、そのくらいです。

僕の場合の輪郭は、すでに書きはじめたとおりです。中学のころ、興味のあった分野の本は親に止められるまで読み続けたのに、夏休みの宿題は8月31日まで一行も書けない人間でした。同じ時間、同じ脳、同じ僕で、これだけの落差がある。これは「弱さ」というより「内発と外発の落差が極端に大きい」という、わりと固有の輪郭です。輪郭が見えてくると、対処の選び方も変わります。意志を強くしようとするのではなく、できるだけ「自分が選んだ感覚」が起きやすい形に、課題を組み直す、というほうに方針が移っていきます。

輪郭を描くときに、気をつけたいことがいくつかあります。ひとつは、他人と比較する目線では描けない、ということ。「あの人はできているのに、なぜ自分は」と並べると、見えるのは弱さの順位だけで、固有の輪郭は見えません。輪郭は、自分の側から、自分だけを見て描かないと、出てきません。もうひとつは、輪郭は終わりがない、ということです。20代で見えた輪郭は、30代で変わります。家族ができたり、仕事の性質が変わったり、体力の総量が変わったりすると、輪郭の形も変わる。「自分のことが分かった」と思った瞬間が、たぶんいちばん危ない瞬間だと、僕は思っています。輪郭は描き上がるものではなく、描き直し続けるもの、というほうが近いです。

最後にひとつだけ書いておきます。スナップショットには、決定的な特徴がひとつあります。これから新しいスナップショットを撮ることができる、ということです。18歳の写真は18歳の写真として残ります。これは消せません。でも、22歳の写真、25歳の写真、30歳の写真は、これから撮れます。そのときに写る数字は、18歳のときとは別物です。同じ集団の中での相対位置でもないし、同じ評価軸での測定でもない。

僕は18歳の自分のスナップショットを、いまでも覚えています。それを否定する気はありません。あれもひとつのスナップショットでしたし、あの僕もたしかに僕でした。ただ、18歳のスナップショットだけで、その後30年間の僕を予測しようとしていたら、たぶん予測は外れていただろうな、と感じます。これは確からしいと思っています。ということは、あなたの18歳のスナップショットだけで、その後30年間のあなたを予測することも、たぶん外れる、ということです。これは「だから諦めないでください」とか「だから努力してください」とかいう話ではなくて、スナップショットというものの、技術的な性質の話に近いです。スナップショットは、その後を予測する道具としては精度が低い。それだけのことです。そのスナップショットをどう扱うか、何度撮り直すか、どんな別の指標を自分の元本として育てるか、そして、外から撮られたスナップショットの横に、自分で描いた自分の輪郭をどう並べていくか。このあたりから、たぶん本番です。

第3章 「楽に生きたい」という言葉について

教員をやっていると、学生さんから「将来、楽に生きたいんです」みたいな話を聞く機会が、けっこうあります。これはわりと素直な希望だと、僕も思います。生きるのに余白が欲しい、しんどい毎日は嫌だ、という願いは、たぶん人類のほぼ全員が持っているものです。

ただ、その話を聞いたときに、僕はいつも、心の中でひとつだけ、聞いてみたくなる問いがあるんです。それは、「楽に生きたい、と言うとき、その『楽』って、どういうことを指していますか」というものです。聞いてみると、たいていの人は、すぐには答えられません。少し詰まります。「楽に生きる」という言葉は、聞き手の頭のなかで、なんとなく、ぼんやりとした像を結ぶんですが、その像の輪郭をくっきりさせるような問いを向けると、像のほうがゆらぎはじめる。そういう経験を、何度かしてきました。

たとえば、こんな質問を続けてみたことがあります。「コンビニの店員さんとか、清掃の仕事をしている人とかは、楽に生きていそうに見えますか」。

ここで、ひとつだけ、絶対に書いておかないといけないことがあります。コンビニで働いている人も、清掃の仕事をしている人も、決して劣った職業の人ではありません。これは前置きや言い訳ではなくて、本心です。仕事に上下や優劣は、本当はないと思っています。それでも、この章でわざわざこれらの職業を取り上げるのは、僕たちの頭のなかに、無自覚に「仕事の階段」のようなものが組み込まれていて、それを取り出して、自分の手でほどいてみよう、という意図があるからです。職業そのものを否定するのではなく、自分のなかの思い込みのほうを、一緒にほどいていきます。もしコンビニや清掃の仕事をしている人が、家族や友人にいて、その立場で読んでくれているなら、この章はあなたを否定するつもりはまったくありません。むしろ、ここで分解しようとしている「頭のなかの勝手な階段」のほうが、あなたが日々向き合っている、いちばん理不尽な相手だと思います。そっちを一緒に解体しに行く章だと思って、読んでもらえると嬉しいです。

さきほどの問いに戻ります。「コンビニの店員さんは楽に生きていそうに見えますか」。これを聞くと、たいていの学生さんは、ちょっと詰まります。「いや、別に……」と言葉を探したりします。明確に「給料が低いからダメです」と即答する人は、案外少ないです。

よく考えてみると、これはちょっと不思議な反応なんですよね。「楽に生きたい」という条件で言うと、コンビニの仕事は、わりと優秀な選択肢に見えるはずだからです。シフト制で時間が決まっています。残業の幅が比較的小さい。仕事の裁量権はないかわりに、責任の幅も狭い。覚えるべき業務は半年で頭打ちになる。家に帰ったら頭を使わなくていい。「楽に生きる」の少なくとも一部の条件を、明確に満たしています。それなのに、「楽に生きたい」と言った口で「コンビニ店員は……」と詰まるのは、頭のどこかに、楽に生きるための選択肢として、コンビニ店員を勝手にリストから外しているんじゃないか、と思うんです。なぜ外しているのかを、その人自身もうまく言葉にできない。これがけっこう興味深いポイントで、言葉にできない理由で選択肢を外す癖を、本人もまだ自覚していないことが多い、という気がしています。

もうひとつ、聞いてみたくなる問いがあります。「もしコンビニ店員という仕事が、あなたにとって楽しいと感じられるのなら、それは天職じゃないでしょうか」。これを聞くと、また少し詰まります。「いや、楽しくないとは言ってないし……」「やったことはないので、わからないです」みたいな返答が来ることがあります。ここまで来ると、ひとつ気づくことがあります。「楽しいかどうか」を判定する材料を、まだ持っていないまま、選択肢から外している、という構造です。

それから、もうひとつ。「もし楽しくはないけれど楽である、という仕事だとしたら、それは何の問題なのでしょうか」。これも、ときどき聞いてみる問いです。楽しくない仕事は嫌だ、と言いたい気はする。でも、最初に言ったのは「楽に生きたい」のほうです。「楽しい」と「楽である」は、近い言葉ですが別物で、両方を兼ね備えた仕事はそんなに多くありません。「楽だが楽しくない仕事」と「楽しいけれど大変な仕事」のどっちを取るか、というのは、選ぶ人による話で、どちらかが一律に正解、というわけでもないと思います。

このあたりまで質問を進めると、たいていの学生さんは、自分のなかの「楽に生きたい」という言葉が、思っていたほど明確じゃなかった、ということに、ぼんやり気づきはじめます。

なぜ詰まるのでしょうか。理由はいくつかありそうです。ひとつは、「コンビニ店員 < デスクワーク < 大企業正社員 < ……」みたいな、仕事の階段のようなものが、頭のどこかに、わりと無自覚に組み込まれているからかもしれません。誰がいつ組み込んだのかは、人によって違います。親が言った言葉、テレビが流した映像、進路指導の先生が示した分布図、就活サイトの年収ランキング、SNS で見たマウント、いろいろが混ざっています。そのうえ、その階段を自分が信じている、とは認めたくない。なぜなら、それを認めたら、自分が職業差別をしている人に見えてしまうから。だから、無自覚なまま、階段を信じたまま、「楽に生きたい」と言う。本心では階段を上りたいのに、表面では「楽でいい」と言っている、という、ねじれた状態が生まれます。

もうひとつは、「楽に生きる」という言葉自体が、ぼんやりしすぎている、ということだと思います。何が楽なのか、いくらあれば楽なのか、誰と過ごすのが楽なのか、何時間働けば楽なのか、何を諦めれば楽なのか。これらが言語化されないまま、「楽に生きたい」とだけ言ってしまうので、自分の発した言葉のはずなのに、自分でもうまく扱えなくなる。前者(仕事の階段)は、たぶんこの本だけでは解体しきれませんし、解体する責任は僕ひとりが負うものでもありません。後者は、ある程度、自分の手元でほどけるはずです。

「楽に生きる」をほどいていくときに、もうひとつ、見落とされがちな次元があります。これは、お金の話に入る前に、書いておきたいんです。

「楽」というのは、お金が足りていて、時間も余裕がある状態のことだ、というふうに、つい考えがちです。たしかに、そのふたつは大事です。ただ、僕がいくつかの場面で気づいたのは、お金と時間が両方そろっていても、なお「楽じゃない」ことがある、ということでした。

具体的に書きます。たとえば、毎日11時くらいに、一日の予定をぜんぶ終えて、机のまえに30分の自由時間が残っているとします。物理的な時間は、確かに30分あります。「英語の勉強でもしようかな」と思って、参考書を開きます。ところが、30分後に気づくと、開いていたのはスマホで、参考書のページは1ページも進んでいません。これを「意志が弱い」で片づけるのは簡単ですが、一日の終わりの30分は、朝の30分とは別物だ、というほうが、たぶん精度の高い説明です。朝の30分の僕は、一日のなかで、まだ何の決断もしていない人間で、脳のなかの何かがすっきり動きます。夜の30分の僕は、すでに授業や課題や人間関係の機微をたくさん処理してきた人間で、脳のなかの何かが疲れて、文字を読むのに必要なリソースがほとんど残っていません。物理的には同じ30分なのに、できることが全然違います。

学習や認知の研究のなかでは、これを「認知資源(cognitive resources)」と呼ぶことがあります。working memory(短期的に何かを覚えておく場所)の容量、注意の量、意思決定のための燃料、感情のキャパシティ。こういうものの総称です。要は「脳の燃料」みたいなものだと思ってください。これは時間とは別の通貨で、補充と消費のサイクルを持っていて、一日の終わりにはたいてい底をついています。これがあるかどうかで、同じ30分の使い方は、まるで別のものになります。

ここまで来ると、「楽に生きたい」の中身が、もうひとつほどけてきます。「楽」というのは、お金や時間だけでなく、「自分のやりたいことに使える脳の燃料が、その時間に残っている状態」のことでもある、ということです。お金がある人でも、毎日12時間、判断と気遣いを要求される仕事をしていて、家に帰ったら何も考えられない、という人は、世の中にたくさんいます。お金は楽だけれど、認知資源はずっとカツカツ、という生き方です。逆に、お金は多くないけれど、判断の少ないルーティン仕事を抱えていて、家に帰ったあとも自分のやりたいことに使える脳が残っている、という生き方もあります。どっちが「楽」かは、その人がどっちの通貨を欲しがっているか、によって決まります。書きながら、これを20歳のころの自分にちゃんと教えてあげたかったな、と思います。

このことが分かると、「コンビニ店員は楽に生きていそうに見えますか」という問いの読み方も、ちょっと変わります。物理的な時間と、可処分の認知資源の、両方の通貨で見る、というのが、わりと現実的な観点になってきます。シフトが終わったあとに、自分のやりたいことに使える脳の燃料が、たくさん残るのか、残らないのか。これは仕事の種類だけで決まることでもなくて、その人の固有の不便さの形(前章で書いた、自分の輪郭ですね)にもよります。だから、答えは人によって違います。

「楽に生きる」をほどいていくときに、入り口としてわかりやすいのは、お金から入る、ということかもしれません。たとえば、「楽に生きるのに、いくらあればいいでしょうか」と聞いてみる。すぐに答えが出ない人が多いと思います。出てきても「年収500万円くらいかな」みたいな、きりのいい数字がぽろっと出てくる。500万円という数字は、たぶんどこかで聞いた数字を思い出して言っているだけで、その500万円の内訳を即答できる人は、ほとんどいないんじゃないでしょうか。

そこで、もう一段問いを進めてみます。家賃にいくら、食費にいくら、通信費・光熱費はいくら、服や趣味にいくら、家族を持つなら子育て費用はどうする、老後の備えは月いくら積み立てる、緊急時のためにいくら手元に置く。これを順番に書き出していくと、きりのいい数字が、ぐらぐら揺れはじめます。500万円じゃ全然足りないかもしれませんし、案外300万円でも足りるかもしれません。いま思い描いている生活が、いくらで成立するかは、一度真剣に書き出してみないとわからない、というのが、僕の感覚です。書き出してみると、面白いことが起きることがあります。多くの場合、その金額は、当人が「楽に生きるために避けようとしていた仕事」でも、十分に到達できる、ということに気がつくんです。

ここで、僕の話を少しだけ書きます。僕は博士課程に進みました。博士課程の薄給は、想像してもらえると思いますが、本当に薄いです。学振(日本学術振興会の特別研究員、という制度)に採択されると月20万くらい出ますが、それ以外の人は学費を払いながら勉強しているか、夜中まで非常勤やバイトをしているのが現実です。生活水準として、決して「楽」ではありませんでした。その後、ポスドクになりました。ポスドクの給料も、職業によっては悪くない数字に見えますが、任期付き・賞与なし・退職金なしの世界なので、額面そのままに使えるわけではありません。長期の住宅ローンも組みにくい。任期なしの助教ポジション(任期付きのポスドクと違って、定年まで働ける安定したポジションです)を取って、ようやく「家族と暮らす生活基盤」のようなものが、自分のなかで具体性を持ち始めました。

そのとき、僕がやったのは、「いまから定年までに、いくら稼ぐ必要があるか」を、家族構成と希望のライフプランから逆算する、ということでした。これをやってみると、いくつかわかることがあります。ひとつは、必要な額は人によってぜんぜん違う、ということ。もうひとつは、いくらか積み立て続けると複利で大きく育つ、という仕組みは、誰にとっても同じだ、ということ。早く始めるほど複利の効きが大きくなるので、早く始めるだけで、必要な「稼ぐ力」のハードルは、わりと下がります。

参考までに、仮の計算をしてみます。月3万円を年利7%(一年で7%増えると仮定する場合の率)で30年間積み立てた場合、自分が投じたお金の合計は約1,080万円、複利が効いた合計はおよそ3,500万円くらいになります。年利7%は、過去のグローバル株式の平均リターンを大きめに見積もった数字なので、下振れもあります。だから「絶対そうなる」とは言いません。それでも、複利というのはこのオーダーで効くらしい、という事実は、知っておいて損はないと思います。僕がここで言いたいのは「投資をしてください」ではなくて、「楽に生きる」のために必要な金額を、もし複利の効きを織り込んで計算したら、いま想像しているより低い額で済む可能性がある、ということだけです。月3万円を30年積めば3,500万円になる、という世界では、「ものすごく稼がないと生きていけない」という前提のいくつかが、グラッと揺れるはずです。

ここまで来て、最初の問いに、もう一度戻ります。「楽に生きたい、と言いましたよね。コンビニ店員ではダメな理由は何でしょうか」。もう一度、自分のなかに問いかけてみてもらえると嬉しいです。ダメと思った理由が「給料が足りない」だったなら、それは具体的にいくら足りないのか。家族を持つため? いくら? 趣味のため? いくら? 老後のため? それなら複利の積み立てで埋まる部分はないでしょうか。ダメと思った理由が「世間体が」だったなら、それは誰の世間体なのか。親、友人、SNSのフォロワー、それとも自分のなかの誰か。その世間体は、30年後に振り返ったときにも、まだ大事だと思える種類のものでしょうか。ダメと思った理由が「楽しくなさそう」だったなら、それは確かに大事な感覚です。それでも、楽しさを保証してくれる職業はそんなに多くないと思います。むしろ、楽しいかどうかは、職業ではなくて、その仕事に対する自分の関わり方で決まる、というのが、僕がいろんな人を見てきた範囲での印象です。コンビニ店員でも、業務改善を楽しんでいる人を、僕は何人か見てきましたし、世間的に「立派」な職業についていて毎日が地獄だ、という人もたくさん見てきました。

「楽に生きたい」という言葉は、答えではなくて、問いの始まりにすぎないんじゃないかな、と僕は思っています。「楽に生きたい」と言ったら、そこからが本番です。何が楽で、何が楽でないのか。いくら必要で、いくらは要らないのか。何を「自分にとっての楽」だと感じるのか。これらは、誰もあなたに答えを渡してくれません。誰かに渡してもらった「楽」は、たぶんあなたの楽ではない、と僕は思っています。

ついでに、もう一段だけ、別の角度の問いを書いておきます。学生さんのなかには、「いやそんな低い金額で満足できないっす、もっと稼ぎたいっす」と言う人もいます。これも素直な希望で、僕は否定しません。ただ、もしそうだとしたら、また次の問いが出てきます。「では、いくらまでなら稼ぎたいんでしょうか」。「無限に」と答える人もいます。それでもいいです。じゃあ、「無限に欲しいのなら、無限に稼げる能力を、いま身につけに行かない理由は何でしょうか」。これがまた、答えに詰まる問いです。「無限に欲しい」と「無限に稼ぐ努力をする」のあいだには、おそろしい距離があります。距離があることに気づかないうちは、欲しがっているふりをしているだけで、本当には欲しがっていない、ということになるかもしれません。「楽に生きたい」と「無限に稼ぎたい」は、一見正反対に見える希望ですが、両方とも、「自分でその希望をほどいているか」という共通の問いに、たどりついていきます。ほどけたら、それは具体的な計画に翻訳できます。翻訳できれば、いまから何をやるかが決まります。決まれば、複利が効きはじめます。これは大事な順番だと、僕は思っています。逆向きにはたぶん進みません。

最後に、もう一回だけ、はっきり書いておきます。僕は、あなたがコンビニ店員になることを否定もしないし、推奨もしません。無限に稼ぐ能力を身につけることも、否定しないし、推奨しません。どの結論でも構わないんです。僕がこの章でしたかったのは、あなたのなかにある「漠然とした楽さの希望」と「漠然とした仕事の階段」が、自分でも持っていることに気づかないままセットで動いている、その状態を、いったんほどいてみることでした。ほどいたあと、「やっぱりコンビニ店員は嫌だな」と思うなら、それでいいんです。その代わり、嫌だと思う理由を、自分の言葉で言えるようになっていてもらえると嬉しいです。「いやー、なんとなく」じゃなく、「私は◯◯が欲しくて、それには年収◯◯万円が必要で、コンビニ店員ではそこに届かないから、選ばない」と言えれば、それはあなたが選んだ結論になります。誰かが用意した正解の照合ではなく、あなた自身の選択になっている、という違いがあります。選択にしたうえで、別の道を選ぶのは、まったく構わないと思います。むしろ、それが、この章で僕がやりたかったことです。

ついでに、もうひとつだけ。学生さんのなかに「めちゃ稼ぎたいわけじゃないんすけど、でもふつうの暮らしがしたいんで」みたいなことを言う人がいます。これは素直な希望で、僕も否定はしません。ただ、「ふつうの暮らし」というのは、誰が定義したものなんだろう、というのは、ちょっと聞いてみたくなる問いです。たぶん、どこかで誰かが定義したそれを、あなたは引き取って、自分の希望のラベルとして貼っている。引き取ったラベルだったら、それを一度引きはがして、自分の言葉で書き直してみる余地があるかもしれません。書き直すとなると、たぶん詰まります。僕だって、20歳の頃の自分にこの作業をやらせたら、たぶん詰まりまくっていたはずです。その作業は本書ぜんぶをかけてやろうとしている作業なので、いますぐ詰まらなくてもいいです。ただ、「ふつう」を疑うところからしか、あなたの選択は始まらないんじゃないか、というのは、書いておきたかったことのひとつです。

最後に、念のため書いておきます。この章で書いた「お金」「時間」「可処分認知資源」のどれもが、「楽」の中身を構成する通貨です。どれを優先するかは、人によって違います。お金を最優先したい人もいますし、時間を最優先したい人もいますし、認知資源を最優先したい人もいます。優先順位は、ライフステージで変わりますし、固有の輪郭でも変わります。だから、唯一の正解はありません。僕がここで書きたかったのは、「楽に生きたい」と一言で済ませてしまうと、自分がどの通貨を欲しがっているのかが、自分でも見えなくなってしまう、ということでした。みっつの通貨に分けて見るだけで、自分の希望の形が、ちょっとくっきりしてくることがあります。それで充分だと思います。

第4章 動こうとして、足が止まるとき

学生さんと話していると、ときどき、こういう話が出ます。「やってみたいことはあるんですけど、なんとなく動けないんですよね」。やる気がないわけじゃない。やりたいと思っている。なのに、最初の一歩が出ない。動こうとして、ふっと止まる。これは、たぶん多くの人に心当たりのある感覚で、僕にも、種類は違えど、ときどき訪れる感覚です。教員になっても、研究者になっても、消えません。自分が書きたいと思っているはずの論文の原稿の前で、なぜか今日は手がつかない、というのは、いまでもよくあります。やりたいことだけが残っている日に動けない、というのは、人類のかなりの割合に共通する標準仕様なんじゃないかな、と感じています。

それで、なぜ止まるのか、内側を覗いてみることが、ときどきあります。学生さんに「なんで止まったの?」と聞いてみたり、自分自身が止まったときに、その理由を辿ってみたり。すると、面白いことに、出てくる理由はだいたい同じような形をしているんです。「恥ずかしいから」「人にどう思われるか分からないから」「まだちゃんとできないから」「完璧じゃないから」「時間がないから」「お金がないから」「自分には才能がないから」。書き並べてみて気づくのは、これらの理由がどれも、自分の外側にある何かを指している、ということです。「人」「ちゃんと」「時間」「お金」「才能」。主語が外にあって、自分はそれに反応しているだけ、という形をしています。だから動けない、というのは、ある意味で自然な流れに見えます。

ただ、もう少し近くで見てみると、ちょっと違う景色が見えてくることがあります。たとえば、「人にどう思われるか」と気にしているときの「人」って、誰だろう、と聞いてみることがあるんです。具体的に名前が挙がる人もいれば、「うーん、世間というか……」と言葉に詰まる人もいます。世間、というのは、考えてみると、輪郭のない相手です。誰でもない。誰でもないのに、その視線を意識して動けないのは、相手のいない試合に出続けているのに似ているのかもしれません。

具体的に名前が挙がった場合でも、その人が5年後、10年後にも自分の人生のなかにいる人なのか、と少しだけ考えてみることがあります。クラスメイトの誰か、サークルの先輩、バイト先の同僚、SNSで見かけるフォロワーの誰か。いまの環境で会っている人の多くは、環境が変われば自然に会わなくなる人たちです。これは悪い意味ではなく、環境ベースの関係というのは、誰の人生にもあるごくふつうのものです。一方で、環境が変わっても残る人、というのは、人生のなかで片手で数えられるくらい、たぶんずっと少ない。恥ずかしくて動けない、と感じているとき、その視線の主は、たいてい、いずれ会わなくなる側の人に含まれている、というのが、僕の経験から見える景色です。3年後にはもう会わない人のために、いまの自分のやりたいことをセーブする。長い目で見ると、ちょっと割に合わない取引なのかもしれません。

それから、長く残る人というのは、最初から「この人が長く残る」と分かっているわけではありません。時間が経って、環境が変わっても、結果的に残った人だけが、長く残る人です。だから、いまの段階で「誰が長く残る人か」を判定することは、原理的にできない。判定できるのは、ずっとあとで振り返ったときだけです。だとすると、いま「恥ずかしいから動かない」を続けると、何が起きるかは、なんとなく見えてくる気がします。動かないと、自分が何を面白いと思っているか、何をやろうとする人間かが、周りに伝わらない。伝わらないと、「それ面白いね」と言ってくれる人も見つからない。長く残る人というのは、おそらく、自分の何かを面白がってくれた人のなかから、結果的に残ってくる人です。動くことそのものが、自分に合う人を浮かび上がらせる装置になっている、というほうが近いのかもしれません。

「ちゃんとできないから」「完璧じゃないから」というのも、よく聞く理由です。これも、誰に「ちゃんと」を要求されているのかを見にいくと、たいてい、自分自身です。親や先生から「ちゃんとやれ」と言われた経験は確かにあるとしても、その声を、いまの自分の頭のなかで再生し続けているのは、自分のほう。完璧の基準を高く設定すればするほど、最初の一歩は重くなります。これは経験則として、だいたいそうなる、という感覚があります。僕の見ている範囲では、最初から完璧を目指した人より、粗くてもいいから始めた人のほうが、結果的に質も上がっていくことが多い。完璧を目指すと最初の一歩が出ず、粗くていいと思うと出るからです。改善の余地というのは、出した一歩のうえにしか見えてこないので、出さないままだと、改善も起きません。完璧と粗さの両極を行ったり来たりした学生さんを何人か見てきましたが、最後に何か形にしたのは、たいてい後者でした。

「時間がない」というのもあります。これは少し別の角度から眺めてみたい言葉です。前章で「物理時間」と「認知資源」は別の通貨だ、と書きましたが、それを踏まえたうえで、ここでの「時間」を、もう一段ほどいてみます。

物理時間として、自由に使える30分が週に一度もない、という人は、ほとんどいないと思います。授業や仕事の時間を引いて、寝る時間と食事を引いて、それでもまだ、スマホを眺めている時間、ぼーっとしている時間、寝る前にだらだらしている時間が残っているはずです。それを足し合わせると、もっとずっと長い時間が出てきます。次に、燃料が残っている時間。これは物理時間より、たしかに少ない。一日の終わりの30分は、たいてい燃料切れの30分で、難しいことには使えません。でも、燃料が残っている時間(朝、休日の午前、午後の早い時間あたり)が、週にひとつも存在しない、というところまでは、たぶん追い詰められていない。

そう考えてみると、「時間がない」と言うときに本当に起きていることは、たいてい三段階目の話、つまり、燃料が残っている時間を、いま考えていることに使う優先順位がついていない、というあたりにあるんじゃないか、というのが、率直な感覚です。物理時間として「ない」のではなく、燃料が残っている時間として「ない」のでもなく、その燃料の優先送り先として「ない」、ということです。

それに、何かを始めるためのコストは、いまの時代、昔と比べものにならないくらい下がっています。本は図書館で借りられますし、学びたいことの解説は動画でいくらでも見られますし、何かを作りたければ無料のツールがいくつもあるし、AI に聞けば最初のヒントももらえます。お金がないから始められない、という言葉の輪郭も、昔とはかなり違ってきている、というのが、教える側に回って学生さんを見ているときに、よく感じることです。これは「だから時間を作りなさい」と言いたいわけではなくて、「時間がない」と言いそうになったときに、もう一段だけ、本当に時間が無いのか、それとも、いまの自分のなかで優先順位が下のほうにあるだけか、と自分に問いかけてみる余地があるかもしれない、というだけの話です。優先順位が下にあるなら、それはそれで構いません。やらない、という選択をしている、というだけのことです。

ここまで並べてきた言葉を、もう一度俯瞰してみると、ひとつ気づくことがあります。「人の目」「ちゃんと」「時間がない」「お金がない」。これらはどれも、動けない理由を自分の外側に置いている形をしている、ということです。主語が外にあって、自分は受け身。

ここで、もう少し時間を遡ってみると、ちょっと不思議なことに気づきます。いまの自分の状況を、過去まで辿ってみると、その状況は、過去の自分の選択、あるいは選ばなかったことの、積み重ねでできている、ということが、けっこう多いんです。どこに進学するか選んだ。何のサークルに入るか選んだ。誰と過ごすか選んだ。スマホを開いた、開かなかった。やりたいことを始めた、始めなかった。選ばなかった、というのも、ひとつの選択です。

これは、自分を責めるための観察ではありません。よく見てみると、ちょっと違う方向の話になります。いまの状況が自分の選択の結果なら、これからの状況も、これからの自分の選択で変えられる、ということになるからです。逆に、「仕方がない、こういう環境だから」と現状を自分の外側に置いてしまうと、これからの変化も、自分の外側にしか期待できなくなる。誰かが変えてくれるのを待つ、運がよくなるのを待つ、という状態です。長い目で見ると、これはけっこうしんどい立ち位置のように、僕には見えます。

「自分の選択として、いまここにいる」と認めるのは、最初は少し痛いかもしれません。それでも、認めたあとに、これからの自分も自分で選べる、という別の感覚がついてくることがあります。これは、「あなたが悪い」と言うための観察ではなく、「あなたの手の中に、これからの起点がある」と気づくための観察、というほうが近いと、僕は思っています。

「恥ずかしい」も「ちゃんと」も「時間がない」も、それ自体を捨てるべきだ、という話ではありません。どれも、人間として大事な感覚です。ただ、それが重しになって動けなくなっているときは、いったん下ろしてみる、というのは、わりと現実的な選択肢だと思うんです。永遠に捨てる必要はありません。動き出したあとに、必要なら、また持ち直せばいい。両手に重い荷物を持って走れる人は、たぶんいません。走るときは、いったん下ろす。走り出したら、あとから取りに戻ればいい。重しは、逃げません。

ここまでの話を、プロローグで書いた庭の比喩に重ねておきます。「動けない」というのは、たぶん、庭に天気の悪い日があるのと、構造としては似ています。雨の日に、庭仕事はなかなか捗りません。これは庭主が悪いわけでも、庭が悪いわけでもなくて、たぶんそういう天気の日だ、というだけのことです。動けない日が続いたときに、自分を責めはじめる前に、ちょっとだけ思い出してみてもらえると嬉しいです。同時に、もし雨の日が長く続くなら、それは天気の問題というより、庭の構造のほうを少し見直す合図かもしれません。雨が降っても水が逃げる水路があるか、屋根のかかった作業場があるか、そういう「天気が悪くても何かが進む構造」を、自分のために組み直すタイミングが来ている、ということです。

第5章 意志ではなく、仕組みに委ねる

動き出したあとの話を、もう一段だけ書いておきたいんです。重しを下ろして動き出したとして、その先で「もっと頑張れ」「もっと意志を強く」で進もうとすると、たぶん持ちません。意志は燃料です。毎日減ります。減ったあとにもう一度燃やそうとすると、消耗します。消耗が続くと、「やっぱり自分はダメだ」回路が立ち上がって、せっかく手の中に取り戻した起点が、また外側に逃げていきます。

意志は、最初の一歩を踏み出すための着火剤としては使えますが、長く燃やし続ける燃料としては、たぶん設計されていません。長く動き続けるためには、意志に頼らなくても日々が回る構造のほうを、外側に作っておく必要があります。これは、僕が研究のなかで人間の学習者に対して取っているスタンスと、ほぼ同じです。学習者が動かないとき、意志を責めても何も改善しません。改善するのは、その学習者が動きやすくなるように、設計のほうを直したときだけです。これを自分自身に向けてやる、ということになります。プロローグで書いた、ITS の研究者として人間の不便さを設計する仕事を、自分自身に再帰的に当てる、というのが、いちばん近い説明です。

仕組みに委ねる、と言っても、いきなり何を組めばいいのか分かりにくいと思います。僕の手元で効いている方向は、ざっくり四つくらいに分けられそうです。

ひとつめは、消費を減らす方向です。決断や選択そのものが、認知資源を食います。だから、減らせる決断を減らす、というのが、たぶんいちばん効率のいい一手目です。朝食の中身を固定する。月曜から金曜の服装をパターン化する。スマホの通知をほぼ全部切る。机に座る時間を毎日同じにする。こういう「default で動く部分」を増やすと、その分、本当に決断したいことに、燃料が回せるようになります。僕の場合、平日の朝の流れを、ほぼ完全に固定にしてあります。何時に起きて、何を食べて、何時に家を出るかは、毎日同じです。これだけで、朝の僕の脳のなかの何割かが、その日の研究のことに振り向けられます。逆に、朝の流れが崩れる日(子どもが熱を出した、寝坊した)には、その日全体のパフォーマンスが落ちる、という形で、これが効いている量が観察できます。

ふたつめは、補充する方向です。認知資源は流れのようなもので、常に減っているので、補充がないと枯れます。補充とは何かというと、睡眠、運動、食事、休憩、人と話すこと、自然に触れること。こういう「やりたいことに直結しないもの」が、ぜんぶ補充です。短期的には、何も進んでいないように見えます。本当はここに、容量を増やす効果が、いちばん大きく載っています。僕のなかでいちばん効いているのは睡眠です。7時間半は、なるべく確保します。これより短い日が続くと、容量がどんどん下がっていって、いずれ何もできなくなります。学生のころの僕は徹夜を平気でやっていましたが、いまの僕はもう徹夜をしません。一晩徹夜したら、丸一日分の作業効率を失う、というのが、自分の体で測れたので、コスパが悪すぎる、と判断したからです。これも、意志の問題ではなくて、容量の問題です。

みっつめは、外部化する方向です。脳のなかで抱えていることを、脳の外に出す。やることリストを紙に書く。スケジュールをカレンダーに入れる。考えていることをノートに書きとめる。アイデアを音声メモに残す。これらは「忘れないようにするため」の道具というより、「忘れていいようにするため」の道具です。脳に保持しておく必要がなくなった瞬間、その分の燃料が、別のことに使えるようになります。AI も、思考の外部化のためのもうひとつの道具で、これは性質がちょっと特殊なので、独立した章を立てて書きます。

よっつめは、配置を最適化する方向です。燃料が満タンの時間に、燃料を必要とするタスクを置く。逆に、燃料が少ない時間には、ルーチン作業や、低燃費でこなせる活動を置く。同じ作業でも、置く時間で結果がかなり変わります。僕の場合、研究や論文を書く作業は朝に置きます。事務作業や返信は午後に集めます。こうすると、同じ24時間でも、産出量が変わってきます。

これら4つは、独立しているようで、互いに関係しています。消費を減らせば、補充の必要量が減ります。外部化すれば、消費量も減ります。配置を最適化すれば、同じ補充量でも、産出が増えます。組み合わせて使う、というのが、たぶん現実的な使い方です。中身は、自分の不便さの輪郭によって人それぞれで、万人共通の最適解はありません。

仕組みは万能ではない、ということも、書いておかないとフェアじゃないと思うので、付け加えておきます。たとえば、僕が固定にしている朝の流れは、子どもが熱を出した朝には、ほぼぜんぶ崩れます。決まった時間に起きられないし、決まった時間にはコーヒーも入れられない。そういう日は、その日に予定していた研究の作業も、たいてい捗りません。仕組みが崩れた日、僕がやるのは、その日のパフォーマンスを取り戻そうと頑張ることではなくて、「今日は仕組みが崩れた日だ」と認めて、低燃費のタスクに切り替えることです。崩れた日に無理をして埋めようとすると、翌日まで燃料切れが波及します。仕組みは、機嫌のいい日に効率よく動けるための装置で、機嫌の悪い日を撲滅するための装置ではない。これも、組んでみないと分からないことのひとつでした。

ただし、仕組みには裏側もあります。仕組みを組むと、その仕組みに最適化された自分が育ちます。同じ朝のルーティンを2年続けると、ルーティンが崩れた日に動けなくなる、という形の脆さが生まれます。これは「経路依存性(path dependence)」と呼ばれることもある現象で、効率と引き換えに、柔軟性が削られていく、という側面のことです。だから、特定の仕組みに永遠に委ねるのではなくて、3か月か半年に一度、いまの仕組みが自分に合っているかを点検して、合わなくなっていたら組み直す、という、もうひとつ上のレベルの仕組みを、並走させる必要があります。委ねる先を、固定の仕組みではなく、「仕組みを組みなおし続ける自分」のほうに、置き直す感じです。

組むときの感覚的な目安を、ひとつだけ書いておきます。良い仕組みは、組んだあとに「何かを我慢している」感じがしません。我慢が前提の仕組みは、たいてい長く続きません。「これを我慢すれば、長期的には」という発想で組まれた仕組みは、結局のところ意志の延長線で、意志切れと一緒に崩れます。長く続く仕組みは、その仕組みのなかにいるあいだに、ちゃんと楽でいられる、という質を持っています。我慢の量で評価せず、楽さの質で評価する、というのが、僕がいま手元で使っている、いちばん近い指針です。

最後に、もうひとつだけ。仕組みは、組めば組むほど人生がコントロールできるようになる、という種類のものではありません。プロローグで書いた庭の話でいうと、仕組みは庭の構造を作る側の作業です。土を整える、棚を組む、水路を引く。水路があれば雨が降ったときに水が流れます。棚があればつる性の植物が伸びていきます。土がいいと、植えたものが育ちやすくなります。それでも、雨は降るときに降るのであって、こちらは降らせたり止めたりはできません。仕組みを組むのは、上手くいきやすくする作業であって、上手くいくことを保証する作業ではない、ということです。仕組みを組んでも、動けない日はありますし、調子の出ない週もあります。それは、仕組みが悪いのでも、自分が弱いのでもなく、たぶん、庭にそういう天候の日があった、というだけのことです。長期で効くもの、というふうに仕組みを見ておくと、特定の一日を仕組みのせいや自分のせいにしないで済みます。

第6章 学習は複利だ

ちょっとした思考実験から始めます。仮に、人の学ぶ速さに差があるとして、いちばん遅い人を 0.1、いちばん早い人を 1.0 とします。実際にこんなにきれいな数字で表せるわけではないので、これは話を進めるための仮置きだと思ってください。このとき、平均的な人と比べて、いちばん遅い人が「同じところまで到達するのに必要な時間」は、何倍くらいになるでしょうか。

直感で「5倍くらい」と思った人は、線形のモデル(足し算でまっすぐ増えていくイメージ、と思ってください)で考えています。1日に1進む人と、1日に0.2進む人がいて、同じ場所までの日数を比べたら、5倍ですよね。これは正しいです。線形ならば、5倍。

ところが、学習には、線形とは違う性質があります。それは、 昨日学んだことが、今日学ぶことの土台になる という性質です。今日学ぶことが、明日学ぶことの土台になり、その土台のうえで、また明日のことを学ぶ。これを毎日繰り返すと、1日に積める量は、昨日までに積み上げた量に比例して増えていきます。雪だるま式に増えていく仕組み、と言ってもいいですし、お金の世界では「複利」と呼ばれている仕組みでもあります。経済の文脈では、利息にも利息がついて、長期で爆発的に育つあれです。学習も、わりと近い構造で動いている、というのが、僕の感覚です。

このモデルで、さきほどの問いを計算し直してみると、ちょっと意外なことが起こります。成長率0.1の人が成長率1.0の人に追いつくのに必要な時間は、無限大になります。永遠に追いつかない。差は時間とともに広がっていくだけ。「お、終わった」と思った人がいるかもしれません。「僕は0.1側だ、もう詰んでる」と。ちょっと待ってください。これは絶望の話ではありません。絶望に見えるのは、「追いつく」をゴールにしているからです。追いつくをゴールにすると、複利の世界では、たしかに永遠に追いつけません。でも、追いつくをゴールに設定しているのは、そもそも誰だっけ、という問いを立てると、話が変わってきます。

複利には、もうひとつの性質があります。早く始めるほど効きますが、いつ始めても効きはじめる、ということです。これがこの章の核です。

複利は、はじめの数年は何も起きていないように見えます。月3万円を年利7%で積み立てる、という前の章で書いた例で言えば、最初の1年で増えるのは、たぶん1万円とか、そのくらいです。「これだけかよ」と感じます。2年目もそれほど劇的には変わりません。3年目もそうです。それでも、20年経つと、利息の額が、毎年の元本投入額に近づいてきます。30年経つと、利息の額が元本投入額を大きく超えます。これが、複利の効き方です。後半でぐっと効く、というのが、複利の特徴です。

これは、学習にもそのまま当てはまる、と僕は思っています。何かを学び始めた最初の半年から1年くらいは、ほとんど何も起きていないように感じます。理解は浅いですし、まだ何にも繋がりません。読んでいる本の内容を、自分の言葉で誰かに説明することもできません。「自分、ぜんぜん進んでないな」と感じます。それでも、それは、複利が効く前のフェーズにいるだけ、ということが多いんです。たとえば、英語を 10 単語だけ知っている人が、新しい 1 単語を覚えるときと、すでに 1000 単語を知っている人が新しい 1 単語を覚えるときとでは、後者のほうが、その単語をいろんな文脈に結びつけて覚えられるので、ずっと深くて、ずっと早く定着します。学びは、すでに自分のなかにあるものと、新しく入ってくるものとの「結びつき」のかたちで積み上がっていくので、最初は何も結びつかないけれど、積み上がるほど、結びつき先が増えて加速していく、というふうに進みます。だから学びの初期は、結びつくべき相手がまだ少なくて、何も起きていないように見える。これはふつうのことです。

複利が効きはじめると、急に、いろんなことが繋がりはじめます。1冊の本を読んで、その内容が3年前に読んだ別の本と結びつきます。研究で書いた式が、学部時代に挫折した別の科目の話と、急につながって見えます。先輩の何気ないアドバイスが、半年前の自分の失敗とぴたりと符合します。このフェーズに入ると、同じ時間を投じたときに学べる量が、明らかに増えていきます。これが「複利が効きはじめる」ということです。問題は、このフェーズに入るのに、どれくらい時間がかかるか、です。僕の体感では、本気で学び始めて、2〜3年。早ければ1年、遅ければ5年。これは個人差が大きいです。早いか遅いかは、これから話す「元本」の量によるところが大きい、と感じています。

複利の話をすると、必ず一緒に出てくる概念が、元本です。元本(がんぽん)というのは、もともとの元手のことで、複利を生み出す「土台のお金」と思ってもらえれば近いです。複利の効き方は、元本の量に比例します。月100円を年利7%で30年積み立てても、雀の涙の差にしかなりません。月3万円を同じ条件で30年積み立てると、3,500万円になります。元本が違うと、複利の効きが桁違いに違うわけです。

学習でも、同じことが起きます。何かを学び始めるとき、人はそれぞれ「元本」を持ち込んでいます。それは、その人がこれまでの人生で、無自覚にせよ自覚的にせよ、積み上げてきたものです。中学高校でちゃんと英語を勉強した人は、論文を読み始めるときの語学の元本が高いですし、物理や数学が好きで、ずっと考えてきた人は、抽象的な議論を扱うときの形式化の元本が高い。ゲームでチームを組んでいた人は、共同作業をするときの役割分担の元本が高いですし、ロゴや絵を描いていた人は、プレゼンでスライドを作るときの視覚化の元本が高い。アルバイトでクレーム対応をしてきた人は、研究室で先輩や教員と話すときの対人交渉の元本が高い。そんなふうに、いろんな元本が、いろんなところに積まれています。

ここで大事なのは、元本は学校の評価軸とは別に積まれている、ということです。偏差値も GPA も、ある時点で測れる元本の一断面でしかありません。学校の評価軸が測れる元本は、実は、人が持っている元本のごく一部です。

僕の例で言うと、僕は中学校までお勉強の元本はほぼ積めませんでした(中学校はほぼ不登校でした)。高校(工業高校)と大学に進んでからも、お勉強の評価軸の上では、低めの数字を持ち続けました。配属時の GPA は 1.9 でした。それでも、その時期に、違う種類の元本が積まれていました。8歳でオンラインゲームを始めて、FPS(一人称シューティングゲーム)を9歳から、自分でゲーム用のサーバーを立てて運営、ロゴデザインで小遣い稼ぎ、ロゴ作成のためのデザインソフト習得、そしてアマチュアの大会で2位、その流れでプロのチームのコーチ。これは「学業の元本」では一切ありませんが、大人になってから複利が効きはじめたときに、これらの元本がぜんぶ効きました。サーバー運営の経験は、研究室のサーバー管理を引き受けるときに役立ちました。デザインの経験は、論文に図を描くとき、スライドを作るとき、論文に載せる図をどう設計するかという研究上の判断にまで効きました。FPS のチーム経験は、共同研究のチームを組むときに、誰が何をやれば最もパフォーマンスが出るかを判断する感覚として効きました。プロチームのコーチ経験は、いま研究室で学生を指導するときの「教え方の引き出し」として効いています。

これは「ゲームをしていてよかった」みたいな話ではなくて、学校が測ってくれない元本も、ちゃんと元本として積まれている、というもっと一般的な話です。僕がいま教員をやっていて、研究室に新しい学生さんが来るときに、その人がこれまで何の元本を積んできたかを知ることに、けっこう時間を使います。GPA では見えない元本があります。それを聞き出して、どこに複利を効かせたら早くフェーズインできるかを考えます。これは僕の指導スタイルの核に近いものです。

ただ、すべての元本が、自動的に複利を効かせてくれるわけではない、というのが、もう一段の話です。複利が効く形にする、という、追加の作業がいるんです。元本があっても、それを取り出して使える状態にしていなければ、次の場面で活用できません。本を100冊読んでも、その内容を自分の言葉で説明できなければ、そこから何かを生み出すことは難しいですし、プログラミングで100個プロジェクトをやっても、毎回ゼロから書き直していたら、3つ目以降の効率はあまり上がりません。

元本を複利が効く形にするコツが、いくつかあると感じています。ひとつめは、やりっぱなしにしないこと。何かをやったら、やった証拠を、自分が後で見返せる場所に残しておく。これはそんなに大層な話ではなくて、論文を読んだら3行のメモを取る、プログラミングのプロジェクトを終えたら、説明書きのファイル(プログラマーの世界では README と呼びます)に「何を学んだか」を書いておく、授業で印象に残った話があったら、その日のうちに3行で書きとめる。これくらいでいいんですが、これくらいでいいのに、これをやらない人がほとんどです。メモは、半年後の自分のためにあります。半年後の自分は、その日の感動も、その時の気づきも、ほとんど忘れています。3行のメモがあれば、その3行を読んだ瞬間に、その日の感覚の何割かが戻ってきます。過去の自分の発見を、未来の自分が再び使える状態にしておく、ということです。

ふたつめは、同じことを2回目にやるとき、少しだけ工夫を加えること。1回目の経験を完全コピーして2回目をやると、何も上積みになりません。1回目で見えた粗を、2回目で1個だけ直す。これだけで、2回目の経験は1回目を踏まえた経験になります。3回目はさらに別のことを直す。これを続けると、5回目の自分は、1回目の自分とは別人になっています。毎回ゼロから始める人と、毎回1個だけ前回より違う場所に手を入れる人とでは、3年後にかなりの差がつきます。これも複利です。

みっつめは、経験を、次に使える「型」として整理しておくこと。「型」というのは、その経験のなかで本質的だった部分を取り出して、別の場面でも使える形に抽象化したもののことです。たとえば、論文を1本書いたとして、書き終わったあとに、「自分はどういう順番で考えて、どこで詰まり、どこで進んだか」を、次に書くときに使える形で整理しておく。これがあると、2本目を書くときの最初の数日が、1本目の最初の数週間より、はるかに短くなります。「型」は、最初は粗くていいです。粗い型をひとつ持っているだけで、何も持たない人とは別世界に住むことになります。型は、使い続けていくうちに磨かれます。磨かれた型は、もっと別の場面に転用できるようになります。これも複利です。

さらに言うと、こうした「型」は、分野を横断します。論文を書く型は、レポートを書く型に転用できます。コードのバグを切り分ける型は、研究室の機械が動かないときの切り分けにも使えます。アルバイト先のクレーム対応で身につけた型は、研究の発表で質問にどう答えるか、という場面でも効いてきます。横断できる型をひとつ持っていると、新しい分野に入ったときの「立ち上がり」が、桁違いに早くなります。これも、やりっぱなしにせず、工夫を加え、整理しておくことで育つものです。

ここで、複利についてもうひとつ、書いておかないとフェアじゃないことがあります。それは、複利は方向を間違えると、同じ強度で効く、ということです。

これは、お金の話だと、ちょっと想像しやすいかもしれません。年利7%で30年積めば3,500万円になる、と書きましたが、年利マイナス3%で30年放っておけば、元本はだいたい3分の1に痩せます。プラスとマイナスの両方向に、複利は同じ強度で効きます。

学習でも、これがそのまま起きます。間違った姿勢で楽器を10年練習し続けると、その癖を矯正するのに、また同じくらいの年数が要ることがあります。間違った思考のパターンで10年仕事をしてきた人は、思考のパターンを直すのに、また何年もかかります。「使い物にならないコードでも動けばOK」というスタンスで5年プログラミングを続けた人と、「動くだけでなく、人が読めるコードを書く」というスタンスで5年やってきた人とでは、5年後の伸びしろが、ぜんぜん違ってきます。健康を放置していると、最初の1年は何ともなくても、10年経つと、若い時には起きなかった不調が連鎖的に出てきます。人間関係を粗末にしていると、最初は気にならなくても、いずれ「困った時に相談できる人」が消えています。これらは全部、複利の働きです。良い方向に積めば良い方向に、悪い方向に積めば悪い方向に、それぞれ同じ強度で、時間とともに加速していきます。

ということは、複利の話には、もうひとつの問いが、付いてきます。「では、何の方向に複利を回すか」、という問いです。これがけっこう厄介で、20歳のあなたが、5年後・10年後・30年後の自分が何を大事にしているかを、いまの時点で正確に知ることは、原理的に難しい、という事情があります。「自分は研究者になる」「会社員になる」「起業する」「アーティストとして生きる」、これらの選択肢のうち、自分にいちばん合うものを、20歳の時点で一発で当てることは、ほぼ無理です。当てたつもりでも、5年経つと変わっていることがざらにあります。これは決断力の問題ではなくて、20歳の人間がまだ自分のことを十分に知らない、というだけの話です。

これは、プロローグで書いた庭の話に戻ると、わりと納得感のある話です。庭で何が育つかは、土と気候と、本人がそのとき何を蒔いたかで決まります。20歳の自分は、自分の土と自分の気候を、まだほとんど観察できていません。観察できていないものに合わせて30年分の作付け計画を立てるのは、無理があります。

これに対して、僕がいま手元に持っている答えは、「方向を一発で決めようとせずに、後から方向を変えても流用できる種類の複利を選んでおく」というものです。具体的には、特定スキルだけにオールインするのではなくて、メタスキルを厚くしておく、という方向です。

メタスキルというのは、別のスキルを身につけるためのスキルのことです。学び方、休み方、人と繋がる作法、問題の見つけ方、内省の仕方、判断の見直し方、長文を書く力、議論をする力、自分の感情を言語化する力。これらは、自分が将来どんな分野に行くにしても、たいてい流用できます。たとえば、20歳で「自分は研究者になる」と決めて、研究のスキルだけを磨いていたとします。30歳で「やっぱり別の道」となったとき、研究固有のスキルの何割かは、使えなくなります。一方で、「学び方そのもの」「自分の不便さに合った仕組みを組む力」「人と一緒に動く力」は、別の分野に移っても、ほぼそのまま使えます。これは、方向を変えたときに資産が消えにくい、という意味で、経路依存性への耐性、と呼んでもいい性質です。

具体的なスキルが要らない、と言いたいわけではありません。両方必要です。ただ、優先順位として、若い時期にはメタスキルのほうを厚くしておくほうが、複利の方向を間違えたときの修正コストが小さくなる、ということは、書いておきたかったんです。これは僕がいま、研究室の学生さんを見ていて、強く感じている観察です。同じ「研究室で4年過ごす」でも、特定の研究テーマを追いかけるだけで終わる人と、その過程で「自分の学び方の癖」「自分が詰まるポイント」「自分にとっての相棒の見つけ方」を持って卒業する人とでは、その後の伸びがぜんぜん違ってきます。後者のほうが、何になっても伸びていきます。研究室で僕がいちばん渡したいのは、後者のほうの蓄積です。

それから、もうひとつ。複利を回す素材として、認知資源そのものを増やす投資、というのもあります。睡眠、運動、食事、人間関係、こういうものに時間を使うことです。短期では、何もやりたいことが進んでいないように見えます。実は、ここに投資しておくと、後で「やりたいこと」ができたときに、動かせる燃料の量が変わってきます。逆に、若いときに容量を削っていると、30代以降に天井が来やすい、というのは、僕が大学院時代に削った睡眠を、いま全力で取り戻している身として、率直な実感です。

最後に、章の最初の話に戻ります。複利は、早く始めるほど効きますが、いつ始めても効きはじめます。「もう20歳だから手遅れだ」と感じる人がいるかもしれません。そう思いそうになったときは、「自分はこれからの人生のうち、まだ60年くらいあるよな」と数えてみるといいかもしれません。60年あれば、複利は3,500万円のオーダーで増えます。これは数学的にそうなります。やるかやらないか、だけです。複利を学習に翻訳すると、いま、ぜんぶの元本があなたのものだ、という話になります。学業で積んだ元本も、学業以外で積んだ元本も、ぜんぶです。それを複利が効く形にしておくだけで、ここから先の数十年で、何が起きるかは、誰にも予測できません。少なくとも、「もう手遅れだ」というセリフだけは、数学的にはあり得ない、ということになります。これは励ましというより、複利という関数の性質の話として、書いておきます。同じ性質が逆方向にも効くことだけは、忘れないでもらえると嬉しいです。

第7章 種まきの時期

僕がパソコンを真剣に触り始めたのは、たぶん9歳くらいのときでした。当時の家には、父親が使っている古めの Windows マシンがあって、家族のなかで僕がいちばん長く触っていました。学校に行かない日が増えていたので、起きて、ご飯を食べて、PC の前に座って、寝る前まで PC の前にいる、みたいな日もよくありました。さすがに24時間ではないですが、一日のなかで10時間くらいは PC のまえに座っている、というのが、当時の感覚としてのデフォルトでした。

最初は、とあるオンラインゲームをやっていました。Stoneage という台湾のゲームで、日本語版があって、子どもでも遊べました。2〜3年くらいやりました。次に、C21 というロボットものに移りました。これは10歳前後の話です。さらに、TrueCombat: Elite という海外の FPS(一人称シューティングゲーム)に出会って、ここから FPS にどっぷり浸かることになります。中学生になって、不登校になって、家にいる時間がさらに増えました。FPS のチームに入って、夜中までネットの試合をしていたわけです。

並行して、自宅にサーバーを立てました。サーバーというのは、ほかの人が接続できるコンピュータのことです。最初はゲームサーバーで、自分のチーム用のものを Linux (リナックス、というパソコン用の基本ソフトのひとつ。Windows や Mac とは違う系統です)で立ち上げました。次に、ウェブサイトを置きたくなって、Apache(アパッチ、ウェブサイトを公開するためのソフト)を立てました。次に、PHP と MySQL(どちらもウェブサイトに動きをつけるための言語とデータベース)を覚えて、簡単な掲示板を作りました。その後、CMS(コンテンツ管理システム、ウェブサイトの中身を簡単に管理できる仕組み)と呼ばれるパッケージを使えば、ウェブサイトも掲示板も全部もっと簡単に作れることを知って、それを導入しました。これも全部、9歳〜中学生くらいのあいだの話です。

高校に上がってから大学院に至るまでのなかで、FPS は Special Force 2、Rainbow Six Siege と進化していきました。アマチュア大会で、Special Force 2 でベスト 8、Rainbow Six Siege でアマ大会2位まで行きました。その流れで、プロチームのコーチをやりました。コーチというのは、選手たちの試合を観察して、戦術を組み立てて、改善点を伝えていく仕事です。並行して、ロゴと名刺のデザインで小遣い稼ぎもしていました。色んな個人やチームのロゴを描いてあげているうちに、上達して、ほかの人にも頼まれるようになりました。1個100円とか、一組1000円で受けていました。けっこうな額の小遣いになりました。途中で名刺デザインも頼まれて、それもやりました。

これらのどれも、当時の僕は「いつか役に立つかもしれない」と思ってやっていませんでした。研究の役に立つ? そんなのまったく考えていません。就活に有利? FPS と就活はこれっぽっちも繋がる気がしませんでした。ただ単に、面白かったからやっていました。それだけです。

そこから時間を飛ばして、いまの僕の話をします。僕はいま、神奈川大学の教員で、研究室を運営しています。論文を書き、学生さんを指導し、共同研究のチームを組み、授業をして、研究費を取って、研究発表をする。9歳の自分が想像もしなかった仕事をしています。ここで、ちょっと不思議に感じていることがあります。9歳から高校までに僕が「面白いから」だけでやっていたことが、いまの仕事に、ぜんぶ効いている、ということです。

書いていて、自分でも本当に不思議なんですが、こういうふうに繋がっています。サーバー運営の経験は、いま研究室のサーバー管理に効いています。Linux のコマンドライン(パソコンに文字で命令する画面のこと)に何の抵抗もないですし、トラブルが起きても切り分けが早いです。9歳から長時間 PC の前にいた人間の、固有のスキルだと思っています。ロゴデザインの経験は、論文の図を作るとき、スライドを作るとき、そして図を「研究上の主張に変える」というレベルでも効いています。研究では、図のデザインが、主張の伝わり方を半分くらい決めることがある。デザイン感覚の元本が、論文のクオリティに直結する、というのは、研究の世界に入ってから気づいたことでした。FPS のチーム経験は、共同研究のチームを組むときに効いています。誰が何が得意で、誰と誰を組ませると爆発するか、誰がいま疲れているか、誰のロールを変えれば全体のパフォーマンスが上がるか。この感覚を、僕は研究より先に FPS で覚えました。プロチームのコーチ経験は、いま学生さんを指導するときに、丸ごと使っています。「叱責ではなく、観察事実だけを伝える」「成果ではなく、判断のプロセスを言語化させる」「自分が答えを言うのは最後」。これらは全部、FPS のコーチで覚えたことです。ロゴ・名刺デザインの小遣い稼ぎでクライアントワークをやった経験は、いま外部との共同研究で「相手が何を求めているかを聞き取って、形にする」というプロセスに、そのまま効いています。高校生のときに、メールで顔の見えない相手とやり取りして、修正を入れて、納品する、というプロトコルを身につけました。これは社会人スキルとしては、けっこう早熟だったかもしれません。

書きながら、自慢したいわけではない、ということを念のため添えておきます。僕がいまここで書きたいのは、「いつか役に立つかもしれない」と思ってやっていたわけではない、ということに、本当の意味があった気がする、ということです。役に立つと思って始めていたら、たぶん、半分くらいは続いていなかったと思います。「これ、本当に役に立つのか?」と途中で疑問が出てきたら、そこでやめてしまう確率が高い。9歳の僕は、そんな疑問を一度も持ちませんでした。面白いからやる、これしかありませんでした。だから20年以上続けられました。続けたから、元本になりました。

こういう、芽が出るかどうか分からないものを、たくさん蒔いておく、という構造を、僕は「種まき」と呼ぶことがあります。9歳の僕がやっていたことは、客観的に見ると、ぜんぶ「種まき」でした。芽が出るかどうかなんて、当時は考えていません。当時の僕は、ただ蒔いていました。そのうちの何個かが、20年後に、芽を出しました。芽を出さなかったものも、たくさんあるはずです。たとえば、僕は大学院生のときに革細工に手を出しました。これは、いまでも趣味として残っているのですが、「研究に効いている」と言える元本にはなっていません。たぶんなりません。それでもいいんです。革細工は、研究の役に立たなかった種、というだけのこと。でも、革細工をしている時間は、僕の人生にとって意味がある時間です。だから蒔いてよかった、と僕は思います。

書きながら気づいたんですが、種まきの話は、プロローグで書いた庭の話と、たぶん同じことを言っています。庭主は、何を蒔くかは選べます。でも、何が芽を出すかは、土と気候と偶然が決めます。だから庭主にできるのは、蒔く種類を増やしておくこと、と、芽が出たものを丁寧に世話すること、それだけです。蒔いた種が全部芽を出すと思って計画を立てると、ほぼ確実に外れます。逆に、何が芽を出すか分からないからこそ、たくさん蒔いておく価値が出てくる、というのが、庭でも種まきでも同じ仕組みなんだと思います。

種まきには、ふたつの大事な性質があるように感じています。ひとつは、どの種が芽を出すかは、蒔く時点では予測できない、ということ。FPS が研究の役に立つなんて、9歳の僕は考えていませんでした。考えていたら、たぶん FPS の選び方も変わっていたと思います。「役に立ちそうだから」FPS をやっていたら、コーチの仕事は引き受けていなかったはずです。それで、僕は元本のひとつを失っていました。もうひとつは、種を蒔く時間は、人生のなかで限られている、ということ。これは寂しい話ですが、社会に出ると、「これ何の役に立つの?」と聞いてくる人が増えてきます。会社の上司が聞いてきます。配偶者が聞いてきます。自分自身が聞いてきます。説明できないものに時間を使うのが、だんだんしにくくなります。学生時代は、何の役に立つか分からないけれど面白いからやる、を許される最後の数年です。完全に最後、とまでは言いません。社会に出てからも、無理を通して種を蒔き続けている人はいます。それでも、その難しさは、学生時代と比べてぜんぶ別物です。だから、学生のあなたが何かに夢中になっているとき、それを「就活に有利か」「将来の役に立つか」というメガネ越しに評価しないほうがいいんじゃないか、と思っています。むしろ、何の役に立つか分からないけれど面白い、その純度を、そのまま保つほうが、結果的に20年後の元本の質を決めるんじゃないか、と。

ただ、種まきが大事だ、と書いたところで、実際に続けるのは難しい、というのが現実です。理由は、わりとはっきりしています。人間の脳は、すぐ手に入る報酬に強く反応するようにできていて、何年も先の見返りに対しては、ほとんど反応してくれません。これは性格の問題ではなくて、種としての設計です。だから YouTube を10分見るつもりで開いて、3時間経っているのは、あなたの意志が弱いからではなくて、脳が「いま手に入る楽しさ」のほうを正常運転で優先しているから、というほうが近いです。一方で、「未来の役に立つかもしれないけれど、いまは楽しさが薄い」ものを続けるのは、その通常運転に逆らう作業です。意志力で対抗しても、長くは続きません。

それでは、どうしたらいいか。僕がたどり着いた答えは、すぐ手に入る楽しさのほうを、自分で設計する、ということです。「未来のため」と思ってやるのを諦めて、いまこの瞬間に楽しい形で、種まきが起きる構造を、自分の手元に作る。具体的なやり方として、僕がよく勧めているのが、何かを「作る」前提で学ぶ、というアプローチです。たとえば、プログラミングを学びたいとします。教科書を順番に読んで、文法を覚えて、練習問題を解く。これは「お勉強」のやり方で、すぐ手に入る楽しさが薄いです。3章くらいまでは耐えられても、5章で多くの人が脱落します。代わりに、「これを作る」と決めて、作りながら学ぶ。自分が好きなアニメのタイトルを集めるツールを作る、と決めます。作るために必要な技術だけ、作る順番で覚えていきます。教科書を体系的に読むのは、いったん諦めます。このやり方は、教科書順の学びに比べて、楽しさがふんだんにあります。書いたコードが動きます。データが取れます。画面に出てきます。これが続くから、学びが続きます。「作る前提で学ぶ」という発想が、長い目で見るとわりと効きます。

僕の場合、9歳の頃からの種まきは、ぜんぶこの形をしていました。ゲームをやっていれば、勝てた・負けたの即時フィードバックがあります。サーバーを立てれば、立った・立たなかったが分かります。ロゴを描けば、クライアントが受け取ってくれた・直しが入った、が分かります。作る前提だから、作った成果がそのまま即時報酬になっていました。種まきというのは、未来のための投資だ、と書きましたが、一見すると、即時報酬と相性が悪そうです。でも、作るプロセスを噛ませることで、即時報酬と未来への投資を、同時に成立させられる。未来のためじゃなく、いまこれが面白いから作る、という形に持ち込めれば、種まきは続きます。続けば、元本になります。元本は、20年後にどんな芽を出すか分かりませんが、それでいいんです。

「では、何を蒔けばいいのか」という問いがあるかもしれません。これは、本当はその人によって答えが違うので、リストを渡してもあまり意味がありません。リストを渡された種を機械的に蒔いても、芽は出にくい。ただ、僕の経験から、ヒントとして書けることがあるとすれば、こういう感覚があるものは、蒔いておくと後で効く確率が高い気がする、というくらいのことです。気づいたら3時間経っていた、というような、時間が溶ける感覚があるもの(これは脳が「報酬がある」と判定しているサインです)。負けて悔しいけれど、もう1回やりたい、と思える種類のもの。誰も評価してくれないのに、勝手に手が動くもの。小さく作って、見せて、フィードバックがもらえるもの。やればやるほど、別のことに繋がりはじめるもの。逆に、「やらなきゃ」と思いながらやるもの、誰かが「やるといいよ」と言うからやるもの、即時報酬がない/極端に遠いもの、小さく作って試せないものは、蒔いても芽が出にくい確率が高い、と感じています。ただ、これらは絶対の判断基準ではありません。「やらなきゃ」と思いながらやって、結果として元本になることもあれば、「誰かに勧められて」始めてハマることもあります。だから、これは判断補助として読んでもらえれば十分です。

ところで、ここまで書いてきた「種」は、ぜんぶ、何かを作る・触れる・遊ぶ、という形をした、目に見える活動でした。FPS、ロゴ、サーバー。外に出力が残るタイプの種です。実は、目に見えにくいけれど、後で効いてくる種、というのもあります。睡眠、運動、食事、人と話すこと、自然に触れること、休むこと。

この種類は、蒔いても、その瞬間には何も起きません。FPS で勝てるようになるとか、コードが書けるようになるとか、そういう「できることが増える」というフィードバックを、ほとんど返してくれません。だから、これは種だ、と気づきにくい。むしろ、「やりたいことから時間を奪う活動」に見えてしまうことがあります。20歳の僕は、明確にそう思っていました。睡眠を削れば、その分、できることが増える、と思って、平気で徹夜していました。これは、いまの僕からすると、種を踏み潰しながら走っていたようなものです。

これらの種が効いているかどうかは、何ができるようになったか、では測れません。「同じ時間で、自分の脳のなかにどれくらいの燃料が残っているか」、で測られます。これは外からは見えません。本人にも、すぐには見えません。10年単位で見ると、「あ、この人はずっと容量に投資してきた人だな」「あ、この人は容量を削り続けてきた人だな」というのが、はっきり差として出てきます。社会人になってから、これが効きはじめます。容量に投資してきた人は、30代になってもやりたいことに突っ込めます。削ってきた人は、30代になると、たぶん天井が来ます。

両方の種を蒔きましょう、と書きたいわけではありません。バランスは人それぞれです。ただ、目に見える種だけを、種だと思いこんでいると、見えにくいほうの種を踏み潰しながら蒔き続けることになります。あとから「あれも種だったんだ」と気づいてからでも、蒔き直しはできるんですが、踏み潰した側のリカバリーには、けっこう時間がかかります。複利は逆向きにも効く、という話と、これも同じ構造です。

最後に、種まきを長く続けていると起こる、ちょっと面白い現象について、書いておきます。長く続けていると、ある時点から、自分のなかに「世界の見え方の偏り」のようなものが、できはじめるんです。ある分野を長く触っていると、その分野のメガネ越しに世界を見るようになります。FPS を長くやっていると、街を歩いていても、勝手に「視界の死角」「人の動きの予測」「角の取り合い」みたいな概念で街が見えてきます。デザインを長くやっていると、看板の文字組や、配色の良し悪しが、勝手に目に入るようになります。サーバー運営を長くやっていると、世の中のあらゆるシステムが、「壊れたときの復旧手順」とセットで見えてきます。これは、あなたの世界そのものが、あなたの蒔いてきた種によって、独自の色に染まっていく、ということだと、僕は感じています。ふたつの種を蒔いた人と、十の種を蒔いた人とでは、世界の見え方の解像度が違ってきます。世界は誰かが用意してくれるものではなく、あなたが蒔いた種が、あなたの見ている世界を作る、というほうが近い。これが、種まきという話と、複利という話と、自分の世界という話が、地下でつながっているところです。最終章で、もう一回、この話に戻ってきます。

第8章 自分の頭で考え、自分の手で作る

この章では、AI の話をします。たぶん、この本のなかで、いちばん同時代的な章になります。書いているのは2026年で、生成AI(ChatGPT のような対話AI、コードを書いてくれる AI、画像を作る AI、論文を要約してくれる AI など)は、大学生の日常に深く入り込んでいます。レポートを書く、コードを書く、発表のスライドを作る、文献を要約する。何ならゼミの予習も、AI に質問しながらやれます。これが当たり前になった時代に、僕は大学教員をしています。

AI 礼賛を書くつもりはありません。AI 脅威論を書くつもりもありません。両方とも、もう世の中に溢れていますし、両方とも、大学生の生活実感から少し遠いように、僕には見えます。僕がここで書きたいのは、もうちょっと地に足のついた話です。AI を使って学ぶ、というのは、いったいどういうことなのか。あなたが今日 ChatGPT を開いてレポートの骨子を作ろうとしたとき、何が起きていて、それはあなたの学びにどう効いて(あるいは、どう効かないで)いるのか、という話です。

入り口として、ひとつのたとえを置かせてください。仕事のなかには、マネージャーと呼ばれる役割と、ディレクターと呼ばれる役割があります。マネージャーの仕事は、誰に何をやってもらうかを決めることです。スケジュールを組み、タスクを振り、進捗を確認し、調整をする。マネージャー自身が「中身」を作る必要は、必ずしもありません。チームのメンバーが作ってくれた成果物を、組み合わせて、納品する。一方、ディレクターの仕事は、何をどう作るかを決めることです。何を本質的に伝えたいか、どんな手触りで、どんな順序で、どんな仕上がりにしたいか。これを判断するのがディレクターです。判断するには、中身がわかっていないといけません。料理のディレクターは、料理が分からないと務まりません。映像のディレクターは、映像言語が分からないと務まりません。研究のディレクター(研究室の責任者で、英語の頭文字をとって PI と呼ばれます)は、研究の中身がわからないと務まりません。マネージャーとディレクターは、両立することもありますが、別々に持つこともあります。仕事として、必要な能力が違います。

このたとえを、AI との関係に持ち込んでみると、AI に何かをやらせるとき、人はマネージャーかディレクターか、どちらかになっています。AI にレポートを書かせて、出てきた文章を読まずに提出する人は、マネージャー(しかもけっこう雑な)です。スケジュールを組んで、タスクを振った。終わった。提出した。中身はわからない。中身がわからないので、出てきたものが本当にそのレポート課題に答えているかどうか、判定できません。仮にそれが0点だったとしても、何が悪かったのかも分かりません。一方で、AI にレポートの骨子を書かせて、それを読んで、「ここの主張は弱い」「ここはもう一段具体例が要る」「この論理の飛躍はおかしい」と判断して、修正指示を出して、最終的に自分の言葉で書き直す人は、ディレクターです。中身を分かっているから、出てきたものを評価できます。評価できるから、改善の方向を指示できます。AI 時代に必要とされる能力は、AI を使いこなす力でもなければ、AI に勝つ力でもなく、ディレクターになるための基礎力なんじゃないか、というのが、僕が大学教員として学生さんに伝えたい、いちばんシンプルな話です。

ディレクターは中身が分かっていないとできない、と書きましたが、中身が分かるようになるには、どうしたらいいんでしょうか。これは身も蓋もない答えになりますが、自分で考えて、自分で作るしかありません。最初から AI に書かせて、出てきた文章を読んで、それで分かった気になる人がいます。これは、ほぼ確実に分かっていません。読むと書くは、認知的にぜんぜん違う作業です。読むときには、書き手が組み立てた論理を追いかけているだけで、自分で組み立てているわけではない。組み立ての練習をしないと、組み立てる力はつきません。僕の経験で言うと、読むのと書くのとでは、得るものの量が、桁違いに違います。本を10冊読むだけの人と、本を1冊しか読んでいないけれど、その内容について自分の言葉で何かを書いてみた人。たぶん後者のほうが、その本について深く分かっています。読むだけだと、書き手が「これくらいは分かるだろう」と省略している判断が見えません。自分が書こうとして、初めてその判断がのしかかってきます。

AI に作業を任せると、これと同じ構造が起きます。AI が組み立ててくれた成果物を読むだけだと、AI が暗黙に行なった判断が見えません。判断が見えなければ、自分で判断する練習ができません。練習しなければ、判断力は育ちません。育たなければ、ディレクターにはなれない、ということになります。具体的に言うと、AI にレポートを書かせて出すだけでは、あなたのレポートを書く力は、永遠に育ちません。これは別に道徳の話ではなく、認知的な構造の話です。書く力は書くことでしか育たない、というのは、人類が何百年もかけて確認してきた、わりと頑健な事実だと思います。

ただ、ここから少し別の話が始まります。AI を使ってもいい、ただし使い方による、という話です。学びの研究のなかでは、学習者が情報に対してどれくらい能動的に関わっているかで、定着の量が桁違いに変わる、ということが、繰り返し確かめられています。ざっくり書くと、ただ受け取るだけ、よりも、ノートを取るほうが定着する。ノートを取るだけよりも、自分の言葉で要約したり、関連を図にしたりするほうが、もっと定着する。ひとりで要約するだけよりも、誰かと議論しながら考えたほうが、さらに定着する。同じ「学ぶ」という行為のなかでも、能動性の段階によって効きが違う、ということです。

これを AI との付き合い方に当てはめてみます。AI にレポートを書かせて、それをそのまま提出する、という使い方は、もう「学ぶ」のスケールから外れています。受け身ですらありません。「やっていない」に近い。AI が出した文章を読んで、自分の言葉で何箇所か書き直す、というのは、ノートを取るくらいの能動性になります。AI に質問を投げて、出てきた答えを材料にして、自分の言葉で要約や図を作るところまで進むと、自分の言葉で再構成しているので、もう一段、能動性が上がります。さらに、AI と対話しながら、自分の理解の穴を見つけ、「ここを別の角度から説明して」と指示し、それを踏まえて自分で組み直す、というところまでくると、議論しながら考える、というのに近いことが、AI 相手でも起きます。同じ AI を使っていても、使い方によって、能動性の段階がぜんぜん違う。これが、僕がいちばん強調したいポイントです。「AI を使うか、使わないか」は、ほぼ意味のない問いで、問うべきは、AI を使って、自分はどのくらい能動的に動いているか、ということです。

AI という道具の性質について、もう少しだけ。AI は、わりと典型的な、思考の外部化装置です。覚えておくのが大変な情報を、覚えなくてよくする。資料を要約するのに何時間もかけずに、最初の骨子だけ取り出してくる。コードのよくある書き方を、毎回ゼロから書かずに済ませる。これらは、外部化することで、自分の脳のなかに残しておく必要がなくなった分の燃料を、別のことに振り向けられるようにする、という意味では、ものすごく強力な仕組みです。

ただし、外部化のなかでも、AI に固有の、ちょっとややこしいところがあります。やることリストを紙に書く、カレンダーに予定を入れる、という種類の外部化は、書いた本人が「自分が何を外に出したか」を分かっています。だから、必要なときに、外部化したものを取り戻して使えます。AI に外部化する場合は、これが少し違います。AI に「考えてもらった」内容は、自分が何を考えなかったかを、自分でも見えにくくします。「考えなかったこと」自体を、AI が代行してくれているからです。これは、紙のメモにはない種類の外部化で、注意して扱わないと、自分の思考のうちのどの部分が AI に置き換わっているのかが、自分でも分からないまま日々が過ぎる、ということが起きます。

だから、AI を道具として使うときには、ひとつだけ、自分への問いを置いておくとよさそうです。「これは、自分が考えなくていいことを AI に外部化しているのか、それとも、自分が考えるべきことまで AI に外部化してしまっているのか」、という問いです。前者なら、たぶん良い使い方です。後者は、ディレクターの仕事の中身を、AI に明け渡しはじめている、ということになります。これは、その瞬間にはなかなか気づきにくいんですが、半年くらい経って、自分の頭で何かを組み立てる場面が来たときに、急に「あれ、自分、考えるのって、こんなに重かったっけ」という形で気づくことになります。あなたの頭で組み立てる筋力が、AI に置き換わっているあいだに、ちょっとずつ落ちていた、というやつです。

僕がこれから運営する研究室では、AI 利用を禁止しないつもりです。むしろ「使ってください」と言うつもりでいます。ただし、使い方には条件をつけたいと思っています。たとえば、ゼミで論文を読んで紹介するとき、AI に論文の要約を作らせること自体は禁止しないつもりです。でも、その要約を、自分の言葉で書き直さずに発表するのは、禁止にしたい。AI 要約を読み上げているだけだとしたら、発表者の理解は深まりませんし、聞いている学生さんも発表者の理解を測ることができません。ゼミの時間が、誰の学びにもなりません。研究のコーディングで AI にコードを書かせるのは、推奨したいと思っています。これは作業効率の話で、書ける部分は書かせたほうがいい。ただし、AI が書いたコードを、行ごとに読んで、何が起きているかを自分の言葉で説明できる状態までは、自分でやってもらうつもりです。説明できないコードを、研究の論文に乗せるのは、研究倫理上もアウトですし、何より、書いた本人がディレクターになれていません。

授業のほうも、質問することへの加点を、意識的に組み込めないかな、と考えています。AI に質問するのは、いいことです。それでも、教員にしか聞けない質問が、世の中にはあります。AI が答えられないこと(たとえば、研究室の文化、僕の指導スタイルの裏側、論文を書くときの政治的判断)は、AI には書かれていません。直接聞きにこないと分かりません。「先生、これ AI に聞いても分かんなかったんですけど」と来てくれる学生さんがいたとしたら、その人はすでにディレクターの素質を持ち始めていると思います。AI に聞ける質問とそうでない質問の区別がついている、ということだからです。区別がつくのは、自分が何を分かっていて、何を分かっていないかが、自分で見えているから、です。

学生のあなたが、もし「AI に聞けば全部済む」と感じているとしたら、それはたぶん、AI に聞けない種類の問いを作る練習を、まだしていないからだと思います。AI に聞けない問いというのは、たとえば「先生のいまの研究テーマは、5年前と比べて、何がどう変わりましたか」「先生が学部時代に、いまの自分から見て『やっておけばよかった』と思うことは何ですか」「先生の指導スタイルで、自分に合いそうなところと、合わなさそうなところを、率直に言ってもらえますか」、こういうものです。AI には書かれていない情報で、教員という具体的な人間が、固有の経験のなかで形成してきた感覚を聞き出さないと出てきません。こういう問いを作れるようになると、AI と人間の役割分担が、自分の手の中で扱えるようになりはじめます。これは、ディレクターの基本動作です。誰(何)に、何を聞くかを判断する、というのは、ディレクターの仕事そのものです。

ここで、元本の話とつなげておきます。ディレクターになるための元本は、これから積めばいい。元本は、自分で考えて、自分で作った経験の積み重ねです。自分で書いたレポート(AI に書かせていない部分)、自分で組み立てたコード(AI に書かせたコードを、行ごとに読み解いて、改造した経験を含む)、自分で立てた問い(誰にも頼まれていない問い)、自分で出した結論(誰かの正解の照合じゃない結論)、自分で主導した議論(黙って聞いていただけじゃない議論)。これらが、ディレクターの元本になっていきます。逆に、AI が代行できる作業を AI に丸投げするだけの時間は、あなたの元本にはほぼ積まれません。代行された作業の経験値は、AI 側に積まれています(正確には、AI モデルの開発者側に積まれています)。あなたのなかには積まれない。これは、AI を使わないでください、という話ではなく、使うときに、何があなたの側に積まれるかを意識しよう、というだけの話です。同じ AI を使っても、元本に積まれる量がぜんぜん違う、というのが、複利が効きはじめる前のフェーズで、決定的に重要な違いになります。

最後に、これを「義務」っぽく書きたくないので、ちょっとトーンを変えて書いておきます。僕は、自分の頭で考えて、自分の手で何かを作るのは、本来、めちゃくちゃ楽しいことだと思っています。レポートを自分の言葉で組み立てるのは、骨組みを設計するパズルです。コードを自分で書くのは、機械に話しかけて、機械が動く瞬間の小さな魔法です。問いを自分で立てるのは、世界をひとつだけ自分の側に引っ張る瞬間です。プレゼンを自分で組むのは、知らない人の頭のなかに、自分の考えを移植する遊びです。AI に任せると、この瞬間がぜんぶ、AI 側で起きます。あなたの側には、できあがったものを受け取る、というわりと薄い体験だけが残ります。これは長期的に見ると、ちょっと寂しい。僕がいま、研究者という仕事をやっていて、本当に楽しいと思える瞬間は、自分の頭で考えて、自分の手で作って、それが動いた瞬間に集中しています。論文の構成を自分で組み直したら、いままで見えなかった主張の形が立ち上がってきた瞬間。コードのバグの原因を、半日考えた末に自分で突き止めた瞬間。学生さんが「先生、これってこういうことですか?」と聞いてきた問いに、僕の脳が初めて気づいた瞬間。これらは、AI が代行してくれません。AI が代行できないからこそ、そこに僕の喜びがあります。あなたの喜びの形は、僕とは違うかもしれません。それでいいです。ただ、AI が代行できないところに、あなたの楽しさが残っている、という構造は、たぶん多くの人に共通している気がします。AI を、あなたの楽しさを奪う相手として使うか、楽しさを残してくれる相棒として使うか。これも、あなたが決めることです。僕は、後者で使ってもらえると嬉しいなと思っています。

第9章 教員も実は分かってない

中学1年の朝の話から、書きはじめさせてください。僕はベッドに寝ていて、目は覚めています。天井を見ています。学校に行く時間が近づいている。たぶん時計は7時を指していたとか、そのくらいだったと思います。母親が「謙人、起きてるの、もう行く時間でしょう」みたいな声をかけてきた、と思います。これも記憶なので、正確なセリフかは怪しいですが。そのとき、僕は、起きあがれませんでした。正確に言うと、起きあがろうと思えば起きあがれたんです。身体はふつうに動きます。熱もないし、風邪でもないし、学校でいじめられているわけでもありません。「学校に行きたくない、明確な理由」というのが、しいて言うなら、ありませんでした。ただ、行く意味が、わからなかったんです。授業に出ても、特に何かが分かるわけではない。先生は黒板に書きます。僕はそれを見る。理解する瞬間もあるんですが、理解したことを使う場面がない。次の日、また同じことが起きる。何かが積まれている感覚はないし、減っている感覚もない。何のためにこの場所に毎日通っているのか、自分のなかで答えが出ない。

天井を見ながら、その問いを、ぼんやり考えていました。中学生の頭で考えていたから、大したことは考えられていません。ただ、結論として、その日は「行かない」を選びました。次の日も行かなかった。次の月も、ほとんど行かなかった。気がつくと、ほぼ不登校という状態になっていました。これが、いまの僕の元本のひとつになっています(元本については第6章で詳しく書きました。ここではざっくり「自分のなかに積まれてきた経験」だと思ってください)。

書きながら、これは別に立派な話ではないですし、自慢でもないし、必要な経験だったとも思いません(不思議と、後悔も全くありませんが)。行かないという選択をできたのは、僕の家族が僕の不登校を許容してくれたからです。許容してくれない家庭で同じ選択をしていたら、もっと違う結果になっていたはずです。だから「不登校でもなんとかなる」という一般化はできません。あくまで、僕の場合の話です。それでも、あの朝のことは、いまも覚えていて、振り返ると、僕は「行くべきだという正解」を、生まれて初めて拒否したのかもしれない、と感じます。たぶんそれが、僕の人生のなかで、最初の自分の選択だったような気がしています。

時間を進めて、大学のころの話をします。僕は大学の授業を、まともに受けていませんでした。配属時の GPA は 1.9 でした。なぜ授業を受けなかったかというと、これも、行く意味がわからなかったから、というのが、いちばん近い理由です。中学生のときの天井の話と、構造として同じだったんです。授業に出ても、特に何かが分かるわけではない。先生は前で話す。僕はそれを聞く。聞いたことを使う場面が、見えない。何のためにこの場所に毎日通っているのか、自分のなかで答えが出ない。問題は、大学では、不登校を選ぶと、留年や退学に直結することです。中学のような「家族が許容してくれる」のと、大学のような「制度が許容しない」のは違います。だから僕は、半分は出席して、半分は出ない、という、けっこう中途半端な状態を維持していました。試験は最低限通します。レポートは最低限出します。GPA は1.9。

そんな僕に、ちょっと面白い話があります。大学1年生のとき、授業が暇すぎたので、研究室というところを覗いてみたい、と思ったんです。研究室というのは、大学の先生が、自分の専門の研究をする場所のことです。学部の3年生か4年生くらいから、学生も配属されて、そこで卒業研究をします。本来、1年生がいきなり訪ねるような場所ではありません。それでも、ある先生のところに、ふらっと話を聞きにいきました。「研究室、見せてもらってもいいですか」みたいな話だったと思います。

その先生は、僕の話を聞いて、こう言いました。「成績で一番になってから来なさい」。成績そのものを見られたわけではなかったと思います。たぶん、本当にただ、適当にあしらわれただけです。授業もろくに出ていなさそうな1年生が、いきなり「研究させてください」と来る、そりゃあ相手にしようがなかったでしょう。当時の僕も、特に怒るわけでもなく、「あ、はい」と帰ってきました。ふつうなら、ここで終わりです。「先生に断られたから、研究は無理だな」と思って、撤退する。それが自然な反応です。ただ、なぜか僕は、そこで止まりませんでした。

大学2年生になって、僕はもう一度、同じような話を、別の先生のところに持っていきました。「研究してみたいんですけど」。相手は、その年に新しく赴任してきた先生でした。僕の成績の話も含めて、ひととおり聞いたあと、その先生はこう言ってくれました。「うちで研究していいよ」。いま振り返ると、その先生が「いいよ」と言ってくれた理由は、わりとはっきりしているような気がします。授業に出ていないとか、成績がどうとか、そういう数字の手前で、たぶんその先生は、「学ぼうとしている」というその一点だけを見てくれていたんだと思います。これがちょっと面白いのですが、奇しくもその先生は、「学習工学」と呼ばれる分野の研究者でした。学習工学というのは、人がどう学ぶかを工学的に研究する分野で、いまの言い方だと「教育 AI」と呼ばれることもあります(じつは、これがいまの僕の専門にもつながっています)。「人が何かを学ぼうとするときに、何が起きているか」を研究している先生だったので、学ぼうとしている学生を、見逃しにくい先生だった、というのは、ありそうな話だと思います。これはあとから気づいたことで、当時の僕は、ただ「いいよ」と言ってもらえてラッキーだな、と思っただけでした。

ここで書きたいのは、「成績で一番になってから来なさい」と言った先生と、「うちで研究していいよ」と言った先生が、同じ大学の中に両方いた、ということです。同じ「研究室の先生」でも、何を基準に学生を見るかは、人によって違います。ある先生に断られたからといって、別の先生にも断られるとは限りません。

最初に「うちで研究していいよ」と言ってもらえたのは、たしか大学2年生になってすぐの春ごろだったと思います。ただ、当時の僕は、もうひとつ別のことにも興味があって、本来のこの研究室で本格的に手を動かしはじめたのは、2年の秋でした。その秋から、僕はその研究室で、FPS の研究を始めました。FPS は、シューティングゲームのことで、僕が9歳から続けてきた、いちばん詳しい分野です。先生は「面白いね」と言って、それを研究としてやらせてくれました。9歳から続けてきたゲームが、20歳の自分の研究テーマになる。これは、いま振り返っても、ちょっと信じられない展開です。論文を書くという作業は、誰かが用意した正解と照合する作業ではありませんでした。まだ誰も書いていないことを、自分で書きにいく作業でした。これは、僕の頭と、たまたま、ものすごく相性がよかったんです。授業ではぜんぜん発火しなかった部分が、論文を書く作業では発火しました。具体的なエピソードをひとつだけ書いておくと、大学3年の秋(9月)ごろに、僕はもうひとつ別の研究を新しく始めました。それが、半年後に、論文として採録されたんです。短報(たんぽう、というのは、論文のなかで短い形式のひとつのことです)という枠ではありましたが、ちゃんと審査を通って、世の中に公開される論文になりました。これは、僕の人生のなかで、たぶんいちばん最初に「あ、複利が効きはじめたかも」と感じた瞬間でした。3年生の冬には、研究室の正式配属の手続きがありました。配属に入れるかどうかは、一番下のボーダーだったらしいです(ボーダーというのは、合否の境界線のことです)。配属時の GPA が 1.9 だったので、それはそうでしょう。それでも、なんとかボーダーをくぐり抜けて、僕は同じ先生の研究室に正式に入れました。結局、博士号を取るまで、ずっとその研究室にいました。そこから修士1年くらいまでで、僕は、それまでの18年間で積めなかったものを、急速に積み上げ始めました。複利が効きはじめたんです。これが、いまの僕の経歴の、ほんとうに最初のスタート地点です。

ついでに、もうひとつ、書いておきたい話があります。じつは、こちらのほうが、FPS よりも先に始まっていました。僕は当時、ロゴマークの研究もしてみたかったんです。中学生の頃から、ゲーム仲間のためにロゴをデザインして、小遣い稼ぎをしていた延長で、「これも研究としてやれないかな」と思っていました。最初に「うちで研究していいよ」と言ってくれた先生の専門は、ロゴマークではありませんでした。それで、僕は、大学2年生になってすぐ、別の学科の研究室にも、勝手に通うようになりました。学科というのは、大学のなかの専門分野ごとの区分けです。ふつうは、自分の所属する学科の先生にしか研究の指導は受けません。でも僕は、興味の方向に合わせて、別の学科の先生のところにも通って、面倒を見てもらっていました。そっちの先生は、ロゴデザインに近い分野の人で、僕の話を聞いて、「いいよ、見るよ」と言ってくれました。大学2年の春から夏にかけて、僕はその別学科の研究室で、ロゴマークの研究を進めていました。それが一段落したのが、ちょうど夏の終わりごろ。その流れで、秋からは本来の研究室でも FPS の研究を始めた、という順番です。つまり、大学2年生のとき、僕はふたりの先生のもとで、ふたつの研究テーマ(ロゴマークと FPS)に取り組んでいた、ということになります。ふつうの学生はあんまりやらないことかもしれません。でも、当時の僕は、自分の興味に合わせて勝手に動いていました。

これらの経験から、僕がいま思っていることを、ふたつだけ書いておきます。ひとつは、大学の先生に断られても、別の先生のところに行けばいい、ということです。先生はひとりではありません。あなたの興味と合う先生は、たぶん、どこかの学科にいます。「成績で一番になってから来なさい」と言われたら、別の先生のところに行けばいいんです。それで開かれる扉が、ぜったいにあります。もうひとつは、「正式配属」の時期を待たずに、興味があるなら早く動いていい、ということです。1年生でも2年生でも、興味を持った研究室に行って「見せてください」「やらせてください」と言うのは、たぶん多くの大学で許される行動です。怖がる必要はありません。仮に断られても、何かを失うことはありません。「成績で一番になってから来なさい」と言われるくらいです。それから、学科をまたいでもいいんです。自分の所属する学科の先生だけが、あなたの先生ではありません。興味がある分野の先生が別の学科にいるなら、そっちにも話を聞きに行ってみるのは、ぜんぜんアリです。これも、僕がたまたま運がよかった、というだけの話かもしれませんが、動かないと、出会いそのものが起きない、ということだけは、僕の経験から書いておきたいんです。

ここから少し、視点を変えます。いま僕は大学教員です。神奈川大学で助教をしています。大学教員というのは、一般的には、研究室を運営して、学生さんを指導して、授業を持っています。教員になってから、いちばん最初に僕が直面したのは、「僕、学生に何をどう教えたらいいか、わからないな」という、驚くほど素直な戸惑いでした。これは謙遜ではなくて、本当に分からなかったし、いまでも完全には分かっていません。書きながら自分でも「これ言っちゃっていいのか」と思うのですが、本だから書きます。考えてみると、不思議な話です。僕は学生時代に「ちゃんと授業を受けてきた人」ではありません。いま僕の授業を受ける学生さんに「ちゃんと授業を受けてください」と言うのは、たぶん筋が通りません。だからといって「僕みたいに授業を受けないでください」とも言えません。「大学の制度では、出席しないと留年しますからね」という現実的な事情があるからです。そもそも、大学の授業で学生に何を持って帰ってもらうのが正解なのか、という問いに、僕自身が答えを持っていません。授業を聞いて知識が頭に入る、ということが大事なのか。授業を聞いて、自分のなかから問いが立ち上がる、ということが大事なのか。授業をきっかけに、誰かと話したり、何かを作ったりする行動が起きることが大事なのか。これらの何が、何より大事なのかは、僕の中で、まだ決着していないんです。そして気づいたのですが、これは僕だけの問題ではなさそうなんです。

ここで、ちょっと歴史の話を挟ませてください。もともと大学というのは、「専門家が知っていることを、口頭で話す」場所として始まりました。中世の大学では、各分野の権威が壇上に立って、自分の知識を学生たちに語って聞かせる、というスタイルで運営されていました。本が高価で印刷物が出回る前の時代には、知っている人間の口から直接聞くのが、いちばん効率のいい知識伝達の方法だったからです。だから、大学教員に求められたのは、教える技術ではなくて、口から出る専門性そのものでした。

この構造は、現代の大学にも、かなりの程度、残っています。大学教員のほとんどは「教育学の博士号」を持っているわけではありません。「研究の博士号」を持っている人が、その研究分野の知識をベースに、見よう見まねで授業をしている、というのが、大学のごくふつうの姿です。研究のプロが、教えることをやらされている。プロではないのですから、何をどう教えたらいいか分からないのは、ある意味で当然です。

ただし、これは大学教員が無能だ、という話ではありません。中学・高校の先生は、「教えるプロ」であることを、まあまあ要求されます。なぜなら、中高で扱う内容は、すでに答えがあるものだからです。数学の公式、歴史の年号、英語の文法、化学の反応式。これらは、人類がすでに発見し、教科書に整理した知識です。先生の仕事は、その整理された知識を、効率よく、わかりやすく、生徒の頭に届ける、ということ。これは「教える技術」がモノを言う仕事です。大学の専門に入ると、扱う内容の性質が、少し変わります。まだ答えがないもの、答えがあるけれど人類がまだ完全に整理できていないもの、答えが複数ある(あるいはどれが正解かわからない)もの、が、たくさん含まれてきます。研究室に入ると、ほぼ全部がこれです。教員も答えを持っていません。教員と学生で一緒に、答えのない場所に向かって、手探りで進んでいくことになります。この場面では、「教えるプロ」というスキルは、たぶんあまり役に立ちません。代わりに必要なのは、「答えがないことに、一緒に向き合う」スキルで、これは「教えるプロ」のスキルとはぜんぜん違う筋肉だと思います。

学生さんの側からすると、先生が答えを持っていない、と知ると、ちょっと裏切られた気分になるかもしれません。中高までの「答えを教えてくれる先生」のイメージで来ているからです。「先生のくせに分からないんですか」と思う瞬間があるかもしれない。これに対して僕がお伝えしたいのは、それが研究室という場の、構造的な本質に近いものだ、ということです。先生が答えを持っていないのは、怠けているからではなく、そもそも答えがないものを扱っているから、持っていないんです。

ということは、大学の使い方も、中高までと変わるということになります。中高までは、「先生に正解を聞きにいく」場所でした。試験範囲を確認したり、わからない問題の解き方を聞いたり、進路の答えを求めたり。先生は、答えを知っていることが期待されていました。大学は違います。大学は、先生と一緒に問いを立てにいく場所であり、もうひとつ、先生の専門性を分けてもらう場所でもあります。「これってどういうことなんですか」と聞きにいって、「僕もよく分からないんだよね、面白いよねそれ」と返ってくることもあれば、「あ、それね、僕の研究にかなり近いところで、こういう議論があって」と、専門の深いところまで連れていってくれることもあります。どちらも大学です。分からないことを「面白い」と感じている先生も、自分の専門の話を生き生きと話す先生も、両方とも、大学的にはむしろ正常運転だと思います。

それから、大学教員は、いち人間で、得意不得意があります。ある先生は研究は素晴らしいけれど、人と話すのが苦手かもしれません。ある先生は、雑談すれば最高の話し相手だけれど、論文の指導は不慣れかもしれません。ある先生は、就職の話を聞くと最高にうまくサポートしてくれるけれど、研究テーマの相談には乗りにくいかもしれません。教員もそれぞれの元本を持った具体的な人間だ、というだけの話です。だから、大学の先生に対しては、いいところを使い倒したらいいと、僕は思っています。論文指導が上手い先生には、論文の話を持っていく。雑談が得意な先生のところには、進路の悩みを持っていく。研究テーマでは合わなくても、人間として尊敬できる先生のところには、生き方の話を持っていく。ひとりの先生に、自分のすべての悩みを解決してもらおうとしない。先生はスーパーマンではありません。それぞれの先生のいいところを、あなたが見つけて、あなたが組み合わせます。これは、何に何を聞くかをあなたが判断する、という意味で、ディレクターの仕事の延長にあるものです。僕の場合、学部2年のときに、ひとりの先生に「うちで研究していいよ」と言ってもらい、別の学科の先生に「ロゴマークの研究」を見てもらい、ふたりの先生のいいところを別々に使っていた、ということになります。これも「使い倒し」のひとつのやり方だったかもしれません。

ここで、教員側からひとつだけお願いを書かせてください。学生さんのなかに、「指示待ち」の方がけっこういらっしゃいます。「先生、何をやればいいですか」「次に何を読んだらいいですか」。素直でいい姿勢に見える質問ですが、教員側から正直に書きますと、これに対してこちらも何を渡していいか、よく分からないんです。教員は、その学生さんが何に興味があって何に詰まっているかを、最初は知りません。発信してくれないと、見えないんです。逆に、やりたいことが漠然とでもある学生さんには、教員側はものすごい量の情報を渡せます。完成した質問でなくていいんです。「なんかわかんないけど、こういうのモヤモヤしてるんですよね」でも構いません。むしろ、そのモヤモヤを言語化される前の段階で持ち込んでもらうのが、研究室の使い方として、いちばん良いと思っています。一緒に言語化していく時間が、研究室での最高の時間のひとつです。

教員と学生の関係を、レース風に書くと、教員は伴走者で、走るのはあなた、というのが、いちばん近いと思います。伴走者は、あなたの隣を、あなたのペースで一緒に走ります。転びそうになれば支えますし、コースの先に何があるかも教えます。ただし、伴走者はあなたのかわりに走りません。これが大事なところで、教員はあなたの人生の責任を取れませんし、取らないんです。これは冷たい話ではなくて、その責任は、あなただけが取れるところに置いておくのが、長期で見ていちばん効くからです。誰かに預けると、上手くいかなかったときに誰かのせいにできるようになって、それは誰かに変えてもらわないと変わらない人生のかたちに、ゆっくりつながっていきます。「私の選択は私が取る、責任も私が取る、相談はする、でも最終決定は私がする」、この感覚を、低学年のうちに少しずつ作っておいてもらえると嬉しいです。

最後に、研究室だけではなく、あなたが出会う「上の方向」の関係性すべてに、ここまでの話は広がります。サークルの先輩、バイト先の店長、インターン先の社員、家族。これらは全部、あなたよりも何かしら先に経験を積んできた人たちです。それぞれが、それぞれの元本を持っています。先輩はその先輩の経験という元本を、店長は社会経験という元本を、家族は家族の歴史という元本を。一方で、彼らは誰も、あなたの人生の答えを持っていませんし、あなたの人生の責任を取れません。これは、教員と同じ構造です。あなたが興味の方向を発信したときに、ピンポイントで何かを渡せる「資源」として、相手を見る。ひとりにすべてを預けない。それぞれのいいところを、あなたが組み合わせる。これがディレクターの仕事の延長で、相手が教員でもバイト先の店長でも、構造としては同じです。

「私の人生の責任を、誰かに肩代わりしてほしい」と思って場所を渡り歩くと、どこに行っても、誰も肩代わりしてくれない、ということに気づくだけで、4年間が終わってしまうかもしれません。「私の世界を広げる素材を、ここから何ひとつでも持ち帰る」と思って場所に向き合うと、どこに行っても、何かしらは持ち帰れるようになるはずです。そして、その持ち帰った断片の集まりが、あなたの元本になっていきます。これが、教員も実は分かってない、という章で、いちばん僕がお伝えしたかった話です。

なお、教員や先輩のような「上の方向」の関係性とは別に、もうひとつ、大学時代に重要になる関係性があります。それは、横の方向の関係性、つまり「仲間」と呼ばれるものです。これも本書のなかでは大事な話なので、章を独立させて、次で書きます。

第10章 仲間という構造

仲間がいるかいないかと、自分が何かをやれるかやれないかは、ふつうは別の問題として扱われます。意志は個人のなかにあるものだ、と前提されているからです。これが、観察してみると、わりと違っています。仲間というのは、意志に頼らないための仕組みの、もうひとつの形として、驚くほど強力に機能します。仲間は、意志の代わりに動いてくれる装置になりうる、ということです。

僕の話をすると、学生のころに研究を続けられた理由は、半分くらいは仲間の力でした。研究室の同期や先輩、後輩が深夜まで作業している空気のなかで、自分も机に向かいました。逆に、自分が苦戦している夜に、誰かが横でホワイトボードに一緒に書きながら考えてくれた時間もありました。意志の総量で考えれば、当時の僕にはあれだけの量をひとりで動かす燃料はありませんでした。それでも研究は前に進んでいた。これは、仲間が燃料の一部を肩代わりしてくれていたから、というのが、いまの僕の読み方です。

実は、これより前の時期にも、似たことを経験していました。中学から高校にかけて、FPS のチームを組んでいたころです。夜中の試合で、自分の調子が悪くて勝てない日があります。それでも、味方の誰かが自分のぶんも背負って動いてくれることがある。逆に、誰かが調子を落とした日に、自分が引っ張る役に回る日もある。チームというのは、全員が常にトップで動いているわけではなくて、誰かが落ちた日を、ほかのメンバーが少しずつ補っていく、という形で進みます。これが分かると、自分のコンディションを完璧に整えなければ、というプレッシャーが、ちょっと下がります。仲間がいる、というのは、調子を平均化してくれる装置を持っている、ということでもある。これを、僕は研究の前に、ゲームで覚えました。

仲間が機能する理由は、いくつか観察できます。ひとつは、燃料を貸し借りできる、ということ。ひとりで動いていると、自分の燃料が切れた瞬間に止まります。仲間がいると、自分が切れた日でも、仲間が引っ張ってくれます。逆に、仲間が切れた日には、自分が引っ張る側になります。資源がふたり(あるいは集団)で平均化される、ということが起きるんです。ひとりで持つには大きすぎる課題でも、誰かと一緒なら、運べる。

もうひとつは、自分のなかの「ふつう」が、勝手に更新される、ということ。何が当たり前で、何が標準か、というのは、所属している集団によって、ほぼ自動的に決まります。研究を毎日やるのが当たり前の集団に入ると、研究を毎日やる自分が当たり前になります。研究をしない集団のなかにいると、研究をしない自分のほうが自然になります。これは、個人の意志の問題と、ほぼ無関係に起きます。だから、自分のなりたい姿があるとき、そういう生き方をしている人たちのそばに身を置くほうが、意志でなんとかしようとするよりも、ずっと効率がいい。仲間というのは、意志に頼らずに済ませるための、社会的な仕組みなんだ、というふうに見ることができます。

みっつめは、考えごとが、相手を通して整理される、ということ。ひとりで全部抱えるよりも、誰かに説明しながら考えたほうが、思考が遠くまで行きます。説明するために整理する過程で、自分のなかで何かが揃います。アイデアの種をもらえます。逆に、自分の盲点を指摘してもらえます。これは個人の脳のスペックを超える作業を可能にする、というほうが近いです。

よっつめは、これがたぶんいちばん強いんですが、仲間が「強制力」として働く、ということ。授業のある朝や、絶対に行かなきゃいけない用事のある朝は、わりとすんなり起きられるのに、何の予定もない休みの朝は、起きたいと思っているのに起きられない、ということがよくあります。これは、自分の脳が、無意識のうちに「これを破ったら、誰にどれくらい迷惑がかかるか/心理的にどれくらい重いか」を推し量って、起きるかどうかを決めているからだと思います。意志の強い弱いではなく、その日の予定の心理的な重さで、動ける動けないが分かれている、ということです。これを逆向きに使うと、続けたい活動を、絶対にすっぽかせない誰かとの約束のなかに埋め込んでおく、というのが、わりと強力な仕組みになります。毎週同じ時間に同期と勉強会を入れる、誰かに「明日の朝までにこれを送ります」と宣言する、朝のイベントを定例化する、というあたりです。とくに、「日常的に迷惑をかけてはいけないような相手」が混ざっていると、自分の脳が「破るわけにはいかない」と判定して、強制力が大きく働きます。意志を強くする練習ではなくて、意志がなくても動く社会的な構造を組む、というのが、ここでも基本姿勢です。

ただし、すべての仲間が同じように機能するわけではありません。これは観察として書いておきます。仲間の質、という観点でいうと、僕の経験では、「同じことをやっている人」よりも「同じ志向性を持つ人」のほうが、長く残ります。同じ研究室にいる、同じ大学にいる、同じバイト先にいる、というのは、表層の共通点で、これは進路や生活が変わると消えやすい。一方で、「面白いと感じる方向」「許せないことの種類」「大事にしたい時間の使い方」みたいな、もう少し深い層の共通点で繋がっている人とは、表面の接点が変わっても、関係が残ります。学生時代の仲間が、その後も人生のなかで残るかどうかは、この深さの違いで、けっこう決まる気がしています。

ここで、第2章で書いた偏差値の話と、すこし接続しておきます。偏差値というのは、ある時点の学力を撮ったスナップショットでしたが、別の側面もあって、「ある特定の能力で、似た仲間を見つけやすくするツール」としても機能しています。偏差値が高い大学には、少なくとも学力テストで上のほうに来る、という側面では、似た能力を持った学生が集まります。同質な仲間と過ごせる環境を、一発で手に入れられる、という意味では、偏差値というツールはちゃんと機能していて、だから社会的にも流行り続けているし、けっこう大事なツールでもある、ということになります。仲間という観点から見ても、偏差値は無意味じゃない。

ただし、偏差値が測れる「側面」は、学力テストで点を取る能力、それだけです。たとえば僕の場合、9歳から積んできたサーバー運営の経験や、中学のころに稼ぎ始めたロゴデザインや、FPS でチームを組んできた能力は、偏差値では一切測られませんでした。これらの側面で同質な仲間を見つけたかったら、偏差値による並べ替えは、何の役にも立ちません。学校が並べてくれた仲間ではなくて、自分でその種の仲間が集まる場所に出かけていく必要がありました。実際、僕の中学時代の FPS のチームメイトは、学校の中ではなく、ネット上で知り合った人たちでした。

つまり、偏差値というのは「ある側面で似た仲間を集めるツール」としては優秀ですが、「あなたが本当に大事にしている側面で似た仲間を見つけるツール」としては、ぜんぜん足りていない可能性があります。学校が用意してくれた仲間で十分、と思える人はそれでいいです。一方で、自分の興味や能力が、学校が測る軸とはズレているな、と感じている人は、偏差値の並べ替えの外側に、自分で仲間を取りに行く必要があります。動かないと出会えない、というやつです。

それから、これは大学時代に固有の話なんですが、仲間を作るための条件が、人生のなかでいちばん揃っている時期が、大学時代だ、というのは、書いておかないとフェアじゃないと思います。物理的に同じ場所にいる時間が長い。生活の制約(家族、仕事の都合、地理的拘束)が比較的少ない。同じ年代で、似た悩みを抱えている。趣味や研究や勉強で、共通言語が生まれやすい。社会人になると、これらの条件は、ひとつずつ消えていきます。物理的距離ができ、家庭の都合ができ、利害関係が複雑になる。新しい仲間を作るハードルが、どんどん上がります。だから大学時代に作った仲間は、その後の人生で、ほぼ作り直しが効きません。これは過剰な美化でも、お説教でもなくて、構造的にそうなっている、ということです。

だから、大学時代の時間の使い方のなかで、「人と一緒に過ごす時間」を意図的に確保しておくのは、後で取り返しのつかない種類の投資になります。研究室、ゼミ、バイト、サークル、何でもいいんですが、「同じ志向性を持っていそうな人」の近くにいる時間を、能動的に作る。声をかけて、一緒に何かをやる。これは恥ずかしい瞬間が混ざるかもしれませんが、構造として、効きます。

最後に、仲間にも裏側があります。仲間がいる、ということは、その仲間と離れたときに弱くなる、ということでもあります。これも経路依存性のひとつで、自分の動機の一部を仲間に預けている、ということでもあります。仲間が変わったり、関係が変わったりすると、自分の動き方も変わる。これは避けられないコストで、仲間を持つことの代償として受け入れることになります。だから、ひとつの集団に依存しすぎないこと。複数の仲間関係を、別々に持っておくこと。研究の仲間、趣味の仲間、長く続く幼馴染、最近できた新しい人。それぞれが別の機能を持っています。ひとつのところに預けすぎないこと。これは、仕組みでも仲間でも、同じ構造です。

仕組みは、自分のなかに作る構造でした。仲間は、自分の外、自分と他人のあいだに作る構造です。両方とも、意志に頼らないで日々を回すための装置で、両方とも、組んだあとに最適化された自分が育って、組み直しが必要になります。庭の比喩で言うと、仕組みは庭の中の構造で、仲間は隣の庭主との関係です。自分の庭の世話を、自分のペースで続けるためには、両方を、ちょっとずつ、組んでおくのがいいんじゃないかな、と思っています。

第11章 「世界」を作るのは私である

プロローグで、ひとつの言葉を提示して、説明を最終章まで取っておきました。「『世界』を作るのは私である」、というあれです。とある哲学書のなかにあった一節です。誰の、何の本かは、ここでも明示しません。出典の話より、あなたがこの一節をどう受け取るか、のほうが、本書にとっては大事だと思っているからです。気になる人は、いつか自分でその一節と出会いに行ってもいいですし、出会わなくてもいい。出会わずに、自分なりに使い続けてくれてもいいです。

僕がこの一節に最初に出会ったとき、正直、意味がよく分かりませんでした。「世界は私が作っている」、そう言われても、僕の周りには、僕とは独立に存在しているとしか思えないものがたくさんあります。建物がある。空がある。他人がいる。ニュースが流れる。社会制度がある。これらは、僕が作ったわけではありません。それでも、この一節はずっと頭の片隅に居座り続けました。たぶん、ぴったり腑に落ちないからこそ、居座ったのだと思います。腑に落ちる言葉はすぐに通り抜けますが、腑に落ちない言葉はその場に居残って、何かのきっかけでまた立ち上がってきます。居残っているうちに、だんだん、意味の輪郭が変わっていきました。いまこの本の最終章を書く段階で、僕がこの一節をどう読んでいるかを、ここに書いてみます。

「世界」と一口に言っても、物理的な世界と、僕たちが見ている世界は、別のものです。物理的な世界は、僕たちが見ようと見まいと、そこにあります。建物は建っていますし、空は青く、地球は自転しています。これは、僕が作ったものではありません。当たり前です。ただし、僕たちが日々生きているのは、物理的な世界そのものではなくて、僕たちが見ている世界のほうです。物理的な世界には、信じられないほどの量の情報が含まれています。空の雲の形、街路樹の葉っぱの一枚一枚、すれ違う人の表情、聞こえてくる雑音、足元の段差。僕たちの脳は、そのすべてを処理することはできません。だから、無意識に、ものすごい量の情報を捨てています。

捨てるか拾うかは、何で決まっているか。これが、あなたがこれまで蒔いてきた種、積んできた元本、そしてあなたが立てている問いによって、けっこう決まっているんです。FPS(シューティングゲーム)を長くやっている人は、街を歩いていて、勝手に「角」が目に入ってきます。そこに敵が潜んでいるかもしれない、という FPS の経験が、街の見え方を変えています。デザインを長くやっている人は、看板を見たときに、文字組のバランスや、配色の良し悪しが、勝手に目に入ってきます。研究を長くやっている人は、誰かが何気なく言った一言を聞いて、「これ、論文の問いになるな」と勝手に思ってしまいます。これらは、同じ街、同じ会話を、別の人がまったく違うものとして経験している、ということを示しています。物理的には同じ街なのに、見えている世界が違う。これが、「『世界』を作るのは私である」の、僕なりの読み方です。物理的な世界は、確かに僕の外にあるんですが、僕が日々生きている「見えている世界」のほうは、僕の見方によって作られている。何を見るか、どう見るか、何を見ないか。これらの判断が、僕にとっての「世界」そのものを規定している、と言ってもいいかもしれません。

これを、あなたのいる場所、つまり大学に当てはめてみます。あなたが通っている大学。同じ建物、同じ授業、同じ先生のもとに、あなたとあなたのクラスメイトが座っています。物理的な環境は、ほぼ同じです。でも、見えている世界は、ぜんぜん違うんです。ある学生にとって、その授業は「単位を取るために我慢する90分」です。別の学生にとっては「自分の興味と運よく重なった、面白い90分」です。さらに別の学生にとっては「先生の言葉のなかから、自分の問いになりそうなものを探す90分」です。ある学生にとって、その先生は「淡々と話す、特に印象のない教員」です。別の学生にとっては「専門の領域では世界レベルの研究者」です。さらに別の学生にとっては「研究室に入って卒研を見てもらいたいメンター候補」です。これらは、その学生たちの元本と、立てている問いの違いによって生まれてきます。専門の知識を少しでも持っていれば、先生の発言の重みが分かります。「自分はこういう問いを持っている」と意識していれば、その問いに引っかかる発言だけが、ハイライトされて聞こえてきます。何も持たずに座っていると、世界はぼんやりとしか見えません。元本があるほど、問いがあるほど、世界はくっきりと、解像度高く、見えてきます。これは、お金持ちが世界を高解像度で見る、という話ではありません。あなたが自分で蒔いた種、自分で立てた問いが、そのままあなたの世界の解像度を作る、という話です。

この本の最初のほうで、偏差値というスナップショットの話をしました。偏差値で並ばせる視点で世界を見れば、世界はそういう風に見えます。誰がどの大学にいるか、誰がどの会社に入ったか、誰の年収がいくらか、誰のフォロワーが何人か。数字で並ぶ序列のなかで、自分がどこに立つかが、世界そのものになります。この見方をしていると、世界はけっこう冷たい場所に見えます。なぜなら、序列のなかでは、ほとんどの人が「上位ではない誰か」だからです。上を見れば自分より上がいる。下を見れば自分より下がいる。両方を見ると、自分のいる場所はちょっとだけ広い灰色の中盤になります。世界は、勝つか負けるかの場所として、見えてきます。別の視点で世界を見ることもできます。複利、種まき、問いを立てる、自分の選択として引き受ける、という視点で世界を見ると、目の前の出来事のひとつひとつが、将来の自分の元本に繋がるかもしれない種として見えはじめます。退屈な授業も、面白い場面が混じっているかもしれない。何気ない先輩の言葉も、半年後に効いてくるかもしれない。誰にも頼まれていない作業も、5年後に思いもよらない場所で繋がるかもしれない。これは保証された未来ではありません。保証はないけれど、その可能性のなかで世界を見ている、という状態です。

ここで気づいてもらえると嬉しいのは、どっちの世界も、物理的には同じ世界だ、ということです。同じ大学、同じ授業、同じ街、同じ友人がそこにあります。違うのは、あなたの見方だけ。そして、見方は、あなたが選べます。これが「『世界』を作るのは私である」の、僕がいちばん大事だと思っている含意です。世界の見方は、あなたが選べる。これは、ふたつの読み方ができる言葉です。ひとつは、希望のある読み方です。いまの世界を「冷たくてつまらない場所」として見ているとしても、建物や授業や先生を変えなくても、見方が変われば同じ世界が別の手触りで立ち上がってくる、という読み方です。もうひとつは、すこし厳しい読み方です。「冷たくてつまらない世界」を見続けているとしたら、それはあなたがそういう見方を選んでいることにもなる、という読み方です。「親が」「先生が」「大学が」「世の中が」、これらはある程度は事実でも、その世界のなかで何を見るかを選ぶのは、最終的にはあなたです。僕としては、この言葉を「あなたが悪い」の正当化に使うのは好きじゃありません。むしろ、「あなたにも見方は変えられる」と思い出させるために使う言葉だと思っています。どちらの読み方を採るかは、また、あなたが決めることです。

最終章のなかに、もうひとつだけ置いておきたい話があります。「自分を測る装置を持つ」という話です。

「測る」と書きましたが、これは数値で評価するための装置のつもりではありません。プロローグで書いた庭の比喩を借りれば、庭を観察するための装置、というほうが近いです。庭の世話をするには、いまの庭の様子を、ちゃんと見ていないといけません。土の状態、葉の色、虫がついていないか、何が育っていて何が枯れかかっているか。観察しないで世話を続けると、ピントがずれた手のかけ方になります。同じことが、自分自身についても言えると思っています。

本書のなかで書いてきた、仕組みも、仲間も、複利の方向も、ぜんぶ定期的に見直しが必要なものでした。仕組みは3か月か半年に一度組み直す。複利は方向を間違えていないかをときどき点検する。仲間も、関係の質は放っておくと変わっていく。これらに共通するのは、定期的に立ち止まって、自分の現在地と、これまでとの差分を見る、という作業です。

ここで、ちょっとした問題があります。「変わった」ことに自分で気づくのは、意外と難しいんです。なぜかというと、変化はゆっくり起きるからです。鏡を毎日見ている人ほど、自分の老化に気づきにくい、というのと同じ構造で、自分の内面の変化も、毎日の自分には見えません。気づいたときには、もう何年も経っています。

だから、過去の自分を残しておく必要があります。後から振り返って、「あの頃の自分はこう考えていた」「いまの自分とどこが違う」と比較できる素材を、意図的に蓄積しておく、ということです。これを、本書では「自分を測る装置」と呼んでみたいと思います。

具体的には、いくつかの形があります。ひとつは日記。毎日でなくていいです。週に一回でも、月に一回でもいい。自分がいま何を考えているか、何に悩んでいるか、何が嬉しかったか、を書き留めておく。これを5年続けると、5年前の自分のスナップショットが、手元に残ります。僕は20歳の頃、ノートを習慣的に取っていました。授業のノートではなくて、考えごとのノートです。いまでも、ときどき開きます。「20歳の僕、こんなこと考えていたんだな」と思うことがあります。狭い視野で世界を見ていたな、と思うこともあれば、20歳のほうが大事なことに気づいていたな、と思うこともあります。どちらにせよ、当時の自分の思考に直接アクセスできるのは、書いたものだけです。記憶は当てにならない、というのが、過去の自分との往復で僕が学んだことのひとつです。

ふたつめは、人と話して残すこと。自分の考えを誰かに話すと、その人がリアクションをくれます。それを通じて、自分の輪郭が、外から見えてきます。日記のように残ってはくれませんが、「自分はこう考えているらしい」という気づきが、起こりやすい場面です。仲間という関係は、この意味でも、自分を測る装置の一部として機能します。

みっつめは、文章を書くこと。日記より整理度を上げて、人に読まれることを少し意識して書く。ブログ、レポート、研究の文章、何でも構いません。書く過程で、自分のなかで何かが揃います。書く前と書いた後で、自分のなかで何かが変わります。これも自分を観察する作業の、ひとつの形です。

よっつめは、長期のプロジェクトに取り組むこと。卒業論文、研究、創作、起業、何でもいいので、長くかかる作業をやる。その作業の途中の自分と、完成時の自分は、別人になっています。プロジェクトの記録(ノート、進捗、初期のアイデア、書きかけのコード)が残っていると、自分の変化が、逆算できます。

これらに共通しているのは、過去の自分の「結論」ではなく、「思考の過程」を残しておく、ということです。これがけっこう大事なところで、結論だけが残っていると、いまの自分は、それにひれ伏すか捨てるかしかなくなります。「過去の自分が学者になる、と決めていた」という結論が残っていても、いまの自分はそれに反応できません。一方で、「学者になりたいけれど、自分にそれだけの粘りがあるかは自信がない、ただ研究室の先輩を見ていると、自分も同じ方向に行きたいと思う、人生の意味みたいなものは、こういう仕事のなかで見えてくる気がする」と、躊躇いまで含めて残っていれば、いまの自分はその思考と対話できます。「あの頃の自分、ここの判断が甘いな」「ここはまだ合っているな」、こういう対話が起きます。対話できる素材だけが、自分の較正に使える、というのが、僕の手元の経験則です。

書きながら気づいたんですが、本書そのものも、僕にとっての「自分を測る装置」になっている気がします。書きながら、僕は自分のいまの生活設計を、もう一度言語化しています。これがいまの僕の答えです。ただ、これは数年経つと古くなるはずです。たぶん、本書のいくつかの記述は、5年後の僕には、間違って見えるか、足りなく見えます。それでいいんです。間違って見える、ということは、僕が変わった、ということで、変化を比較する素材が手元にある、ということだからです。完成形を書こうとすると、書く前から固まってしまいます。完成形を書こうとしていないからこそ、未来の自分が、この本の上に何かを書き足したり、線を引いたり、ページを破いたりできる。本書はそういう意味で、未完成のまま、あなたとあなたのこれからの自分のあいだの、共通の素材としても置いておきます。

物理的な世界は、あなたの外にあります。それは変わりません。ただ、あなたが日々生きている「見えている世界」は、あなたが作っています。それも本当です。プロローグで書いた庭の話と、「『世界』を作るのは私である」という一節は、矛盾するように見えて、僕のなかでは両方とも本当だ、というところに落ち着いています。あなたの見方が変われば、同じ世界が別の手触りで立ち上がってきます。同時に、見方を変えても、雨は降るときに降るし、霜は来るときに来る。「ぜんぶ自分の見方の問題だ」に振り切れると、外側の事情に対して冷たくなります。「ぜんぶ環境の問題だ」に振り切れると、自分の手は動かなくなります。両方とも本当だ、というところで保ったまま、自分の庭の世話を、自分のペースで続ける。本書を通じて、僕があなたに渡したかったのは、ざっくり書くと、この感覚です。

これは僕がいま読み取れていることで、5年後の僕には、別の読み方が見えているかもしれません。それも含めて、本書はここで止めます。これより先は、僕が次に書き足すか、あなたが書き足すか、です。

最終章は、ここで止めます。

エピローグ あなたの世界はこれから

ここまで読んでくれて、本当にありがとうございます。「ありがとう」を、教える側の人間が、教えられる側の人間に対して書くのは、ちょっと変に見えるかもしれません。それでも僕は、素直にそう思っています。答えをほとんど書かないまま進めるドキュメントを、それでも閉じずに、ここまで読んでくれた、というのは、たぶん、あなたが本書の距離感、つまり、答えではなく観察と問いを置いていくつもりで書く、というあの距離感に、自然に付き合ってくれたから、なんじゃないかなと思っているからです。

最後にひとつだけ、別れの場面で書いておきたいことがあります。少し覚悟を決めて書くと、僕はここまでで、ここから先はあなたが歩く番です。これは突き放しているわけでも、冷たいわけでもなくて、本書の最終章で書いた話の、当然の帰結として、こうなるんです。あなたの世界はあなたが作る、と書いてきました。だとすれば、その作業に、僕が同行することは、できないんですよね。同行した瞬間に、それは「あなたの世界」ではなくて、「僕とあなたの世界」になってしまいます。それは、あなたの世界とは、別物です。

僕は本書のなかで、できるだけ正直に、自分の経験と、いま見ている景色と、いま立っている問いを、あなたに渡してきたつもりです。GPA 1.9 の話も、不登校の朝の話も、ふたりの先生に拾ってもらった話も、研究室で学生さんに伝えたい話も、書きました。書きながら、これは本気で書いてよかった、と何度か思いました。それでも、書き終わった瞬間に、これは僕のものではなくなります。読んだあなたのものになります。あなたが拾うものを拾い、捨てるものを捨て、忘れるものを忘れていい。僕の手は、ここでもう離れます。

本書を読み終えたあと、たぶん、いくつかの問いが、あなたのなかに残っているんじゃないかと思います。お勉強と学びの話を読んでみて、自分はどっちに寄っているのか。18歳のスナップショットを、これからどう扱おうとしているのか。「楽に生きたい」と言うとき、その「楽」が何を指しているのか、自分の言葉でほどけるか。動けないな、と感じるとき、それが人の目のせいなのか、自分への「ちゃんと」のせいなのか、ほかの何かなのか。複利の元本は何で、どこに積み増していくのか。何の役に立つかわからないけれど面白い、と感じることに、いま、時間を使えているか。AI を、ディレクターとして使っているか、それとも雑なマネージャーとして投げているか。自分の周りの先生や先輩や大人を、どんなふうに使い倒すか。自分が見ている世界は、自分のどんな見方が作っているのか。これらの問いに、答えは書いていません。代わりに、あなたの手元に、ぜんぶ残してあります。これらをどこに持っていくかは、あなたが決めることです。すぐに答えを出そうとしなくてもいいですし、答えなくていい問いとして、机の上に置いておいてもいい。何年か後に、ふっと立ち上がってくる問いとして、待ってもいいです。あるいは、いますぐ誰かに話して、答えを一緒に作りはじめてもいい。どれも、あなたの選択です。

別れの場面で、せめてひとつだけ、お土産のようなものを渡したいと思っています。これは正解ではないですし、正解として渡すつもりもありません。それでも、僕があなたと過ごしたこの本のなかで、いちばん残したい一文があるんです。「あなたの元本は、まだ増やせる」というのが、その一文です。これは、本書をここまで読んできてくれたあなたに、いちばん渡したかった言葉でもあります。不登校だったあなたも、低偏差値ルートを通ったあなたも、いま GPA が低くて落ち込んでいるあなたも、研究室でラベルが貼られかけているあなたも、あなたの元本は、まだ増やせます。これは数学的にそうなる、というだけのことなんです。複利は、いつ始めても効きはじめるからです。それから、これまで積んできた「学校で測られる元本」だけが、あなたの元本ではありません。学校が測ってくれなかった元本も、これからあなたが自分の手で蒔いていく種も、ぜんぶあなたの元本になります。むしろ、これからあなたが自分の手で蒔いていく種のほうが、あなたのこれからの世界をはるかに大きく規定するんじゃないか、と僕は思っています。これが、僕があなたに渡せる、最後のお土産です。「だからいますぐ動こう」とは書きません。動くか動かないか、いつ動くか、何を動かすか。それも、ぜんぶあなたが決めることだからです。

それから、書き終わってあらためて感じていることを、もうひとつだけ、添えておきたいんです。本書のなかには、「自分の輪郭を描く」「仕組みを組む」「複利の方向を選ぶ」みたいな、能動的な言葉がいくつも出てきます。これらが成り立つ前提を、よく見てみると、わりと特殊な条件のうえに乗っています。共同体に組み込まれて生きる、家業を継ぐ、土地に縛られる、宗教が日々を形作る。こういう生き方のなかでは、「自分の人生をどう設計するか」という問いは、そもそも成立しません。だから、いまあなたが、自分の庭を自分で世話できる立場にいる、ということ自体が、誰かが先に整えてくれた土のうえに、たまたま乗っかっている、ということでもあるんです。親、祖父母、社会のなかの大勢の人、歴史のなかの何世代もの人たちが、いろんな選択を積み重ねてくれて、その結果として、いまのあなたが、自分の庭の世話を、自分でできるところに立っています。これは、ぜんぜん当たり前のことではありません。本書のなかでは直接書きませんでしたが、書き終わってみると、この感覚を、最後にひとつだけ置いておきたかったんだ、と気づきました。受け取った土のうえに、何を蒔くか、どう世話をするかは、あなたが決めることです。それは確かにあなたの庭で、それを支えている土は、あなただけが作ったものではない。両方とも本当だ、というところで止めておくのが、たぶんちょうどいい温度です。

本というのは、書き手と読み手のあいだの、ちょっと不思議な距離感を持った出会いです。文字を通じてだけ、ここまで一緒に来てくれた、というのは、僕の側からするとそれだけで嬉しいことです。このあと、あなたとどこかで顔を合わせることがあるかもしれませんし、ないかもしれません。それは、お互いに、また別の話として、楽しみにしておきましょう。僕の側からは、あなたの世界が、あなたのいい感じに、あなたのペースで、これから組み上がっていきますように、と、ぼんやり願っています。プロローグで書いた庭の比喩でいうと、あなたの庭が、あなたの土と季節に合った植物を、あなたのペースで育てていきますように、というほうが、たぶんもっと近いです。咲く花も、咲かない花も、両方ぜんぶ、あなたの庭です。

ここから先は、あなたの世界です。


古池謙人