第5章 意志ではなく、仕組みに委ねる

動き出したあとの話を、もう一段だけ書いておきたいんです。重しを下ろして動き出したとして、その先で「もっと頑張れ」「もっと意志を強く」で進もうとすると、たぶん持ちません。意志は燃料です。毎日減ります。減ったあとにもう一度燃やそうとすると、消耗します。消耗が続くと、「やっぱり自分はダメだ」回路が立ち上がって、せっかく手の中に取り戻した起点が、また外側に逃げていきます。

意志は、最初の一歩を踏み出すための着火剤としては使えますが、長く燃やし続ける燃料としては、たぶん設計されていません。長く動き続けるためには、意志に頼らなくても日々が回る構造のほうを、外側に作っておく必要があります。これは、僕が研究のなかで人間の学習者に対して取っているスタンスと、ほぼ同じです。学習者が動かないとき、意志を責めても何も改善しません。改善するのは、その学習者が動きやすくなるように、設計のほうを直したときだけです。これを自分自身に向けてやる、ということになります。プロローグで書いた、ITS の研究者として人間の不便さを設計する仕事を、自分自身に再帰的に当てる、というのが、いちばん近い説明です。

仕組みに委ねる、と言っても、いきなり何を組めばいいのか分かりにくいと思います。僕の手元で効いている方向は、ざっくり四つくらいに分けられそうです。

ひとつめは、消費を減らす方向です。決断や選択そのものが、認知資源を食います。だから、減らせる決断を減らす、というのが、たぶんいちばん効率のいい一手目です。朝食の中身を固定する。月曜から金曜の服装をパターン化する。スマホの通知をほぼ全部切る。机に座る時間を毎日同じにする。こういう「default で動く部分」を増やすと、その分、本当に決断したいことに、燃料が回せるようになります。僕の場合、平日の朝の流れを、ほぼ完全に固定にしてあります。何時に起きて、何を食べて、何時に家を出るかは、毎日同じです。これだけで、朝の僕の脳のなかの何割かが、その日の研究のことに振り向けられます。逆に、朝の流れが崩れる日(子どもが熱を出した、寝坊した)には、その日全体のパフォーマンスが落ちる、という形で、これが効いている量が観察できます。

ふたつめは、補充する方向です。認知資源は流れのようなもので、常に減っているので、補充がないと枯れます。補充とは何かというと、睡眠、運動、食事、休憩、人と話すこと、自然に触れること。こういう「やりたいことに直結しないもの」が、ぜんぶ補充です。短期的には、何も進んでいないように見えます。本当はここに、容量を増やす効果が、いちばん大きく載っています。僕のなかでいちばん効いているのは睡眠です。7時間半は、なるべく確保します。これより短い日が続くと、容量がどんどん下がっていって、いずれ何もできなくなります。学生のころの僕は徹夜を平気でやっていましたが、いまの僕はもう徹夜をしません。一晩徹夜したら、丸一日分の作業効率を失う、というのが、自分の体で測れたので、コスパが悪すぎる、と判断したからです。これも、意志の問題ではなくて、容量の問題です。

みっつめは、外部化する方向です。脳のなかで抱えていることを、脳の外に出す。やることリストを紙に書く。スケジュールをカレンダーに入れる。考えていることをノートに書きとめる。アイデアを音声メモに残す。これらは「忘れないようにするため」の道具というより、「忘れていいようにするため」の道具です。脳に保持しておく必要がなくなった瞬間、その分の燃料が、別のことに使えるようになります。AI も、思考の外部化のためのもうひとつの道具で、これは性質がちょっと特殊なので、独立した章を立てて書きます。

よっつめは、配置を最適化する方向です。燃料が満タンの時間に、燃料を必要とするタスクを置く。逆に、燃料が少ない時間には、ルーチン作業や、低燃費でこなせる活動を置く。同じ作業でも、置く時間で結果がかなり変わります。僕の場合、研究や論文を書く作業は朝に置きます。事務作業や返信は午後に集めます。こうすると、同じ24時間でも、産出量が変わってきます。

これら4つは、独立しているようで、互いに関係しています。消費を減らせば、補充の必要量が減ります。外部化すれば、消費量も減ります。配置を最適化すれば、同じ補充量でも、産出が増えます。組み合わせて使う、というのが、たぶん現実的な使い方です。中身は、自分の不便さの輪郭によって人それぞれで、万人共通の最適解はありません。

仕組みは万能ではない、ということも、書いておかないとフェアじゃないと思うので、付け加えておきます。たとえば、僕が固定にしている朝の流れは、子どもが熱を出した朝には、ほぼぜんぶ崩れます。決まった時間に起きられないし、決まった時間にはコーヒーも入れられない。そういう日は、その日に予定していた研究の作業も、たいてい捗りません。仕組みが崩れた日、僕がやるのは、その日のパフォーマンスを取り戻そうと頑張ることではなくて、「今日は仕組みが崩れた日だ」と認めて、低燃費のタスクに切り替えることです。崩れた日に無理をして埋めようとすると、翌日まで燃料切れが波及します。仕組みは、機嫌のいい日に効率よく動けるための装置で、機嫌の悪い日を撲滅するための装置ではない。これも、組んでみないと分からないことのひとつでした。

ただし、仕組みには裏側もあります。仕組みを組むと、その仕組みに最適化された自分が育ちます。同じ朝のルーティンを2年続けると、ルーティンが崩れた日に動けなくなる、という形の脆さが生まれます。これは「経路依存性(path dependence)」と呼ばれることもある現象で、効率と引き換えに、柔軟性が削られていく、という側面のことです。だから、特定の仕組みに永遠に委ねるのではなくて、3か月か半年に一度、いまの仕組みが自分に合っているかを点検して、合わなくなっていたら組み直す、という、もうひとつ上のレベルの仕組みを、並走させる必要があります。委ねる先を、固定の仕組みではなく、「仕組みを組みなおし続ける自分」のほうに、置き直す感じです。

組むときの感覚的な目安を、ひとつだけ書いておきます。良い仕組みは、組んだあとに「何かを我慢している」感じがしません。我慢が前提の仕組みは、たいてい長く続きません。「これを我慢すれば、長期的には」という発想で組まれた仕組みは、結局のところ意志の延長線で、意志切れと一緒に崩れます。長く続く仕組みは、その仕組みのなかにいるあいだに、ちゃんと楽でいられる、という質を持っています。我慢の量で評価せず、楽さの質で評価する、というのが、僕がいま手元で使っている、いちばん近い指針です。

最後に、もうひとつだけ。仕組みは、組めば組むほど人生がコントロールできるようになる、という種類のものではありません。プロローグで書いた庭の話でいうと、仕組みは庭の構造を作る側の作業です。土を整える、棚を組む、水路を引く。水路があれば雨が降ったときに水が流れます。棚があればつる性の植物が伸びていきます。土がいいと、植えたものが育ちやすくなります。それでも、雨は降るときに降るのであって、こちらは降らせたり止めたりはできません。仕組みを組むのは、上手くいきやすくする作業であって、上手くいくことを保証する作業ではない、ということです。仕組みを組んでも、動けない日はありますし、調子の出ない週もあります。それは、仕組みが悪いのでも、自分が弱いのでもなく、たぶん、庭にそういう天候の日があった、というだけのことです。長期で効くもの、というふうに仕組みを見ておくと、特定の一日を仕組みのせいや自分のせいにしないで済みます。